馳浩の快刀乱筆

 固定観念の転換が必要 

 子ども観 

平成12年5月21日富山新聞掲載


 

 『子ども観』。あまり聞き慣れない言葉が飛び込んできた。使い手は文部省。私語や立ち歩きで授業ができくなる『学級崩壊』、その小学校での調査報告に使われている。この報告書によると、『子どもは授業を静かに聞くのが当たり前だ』といった『子ども観』は捨てるべきだと指摘。『子どもは先生の指導に従うのが当然』といった固定観念の転換も求めている。

 報告書を見て、『あれ?そうなの?』と実は思った。現場を重視する『郷に入れば、郷に従え』を意味するように聞こえる。

 しかしそうではない。『児童が先生の指導に従うのが当然』と先生が考えることを、悪しき固定観念と一刀両断に切り捨てているのではないと思う。子どもが学校で静かに授業に聞き入ることは、まさしく子どもが授業に集中して知的好奇心を満足させている状況を言うからだ。

 今の子どもは集中力が足りず、じっとしていられないという性癖・傾向があることを肝に銘じなければならないと訴えているのだと思う。だからこそ授業に興味を引かせるための工夫を促しているのだと思う。つまり、今の子どもへの見方を昔と比べて180度変えなさい。しかし、子どもたちに授業を聞き入らせる理想は理想で捨ててはいけないと、報告書はいっているのだと思う。躾(しつけ)ができていない今の子どもを相手に、理想どうりの授業をすることが至難の技になっていることが痛々しく伝わってくる。

 問題はこの状況を、大人が深刻に受けとめる必要があることだ。子どもの『生きる力』を育成するうえで、『静かに人の言うことに耳を傾ける態度』は『不易』の部分だと思う。学校に通う前の子どもたちの躾について、まずは親が責任をもち、次に地域が責任をもって実行していかなければならない。裏を返せば学校に責任をもたせてはならない、ということである。

 文部省の報告は、大人たちに『躾は学校がやってくれるもの』という固定観念の転換も求めていると読めるのではないだろうか。地域の教育力の再生がおおげさではなく最も重要な日本の21世紀の課題だと改めて思った。

 

教育や 躾忘れて 学級崩壊
 

エッセイスト・小矢部市出身

 
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