馳浩の快刀乱筆

 前後の情報公開、区別を 

 代表の選び方 

平成12年5月14日富山新聞掲載


 

 どんな世界でも『代表』の選び方は難しい。スポーツの世界でも同じである。そのスポーツ界での『代表選考』のあり方が、厳しい世間の批判をあびている。オリンピック代表選考にかかわる女子マラソンの問題、水泳の千葉すず選手の問題。これらは既に選考は終わっているが、そのあり方に問題を残した。

 しかし、渦中のまっただ中にあるのが、サッカーの日本代表監督選びである。現代表監督のトルシエさんの任期が今年の6月いっぱいであることから、交替させるかどうかで迷走している。特に2002年の日韓共同開催のワールドカップを控えての監督選びであるだけに、スポーツ界にとどまらず、世間の熱い注目を受けている。その証拠に、朝日新聞の誤報まで飛び出す始末である。

 さて、この問題について私なりの意見を言いたい。

 それは、選考前と選考後の情報管理、つまり情報公開のあり方を区別することである。選考後は、もちろん選考基準などをはっきり公表し、批判があるなら堂々と論陣をはれば良いし、そうしなければならない。逆に選考前は、その情報の非公開を徹底し、短期間で結論を出すべきだ。特に非公開の選考会議の様子を、出席者が責任者の立場としてでなく、あれこれしゃべるのは良くない。その内容がどれだけ正確か問題もあるし、波紋が波紋を呼ぶ。そのため、決まるものも決まらず、予想以上に時間が経過してしまう。

 何よりも、勝つために出している自分の意見や結論なりが、関係のない人間関係などを持ち出されマスコミなどに書かれる。これでは、スポーツマン、広くはスポーツ自体が持っている『潔さ』に反してしまう。マスコミの報道ぶりにも問題があるが、その種をまいたのは自分たちであることを忘れてはならない。過剰な報道ぶりが、結局監督選びで妥協の産物を生んでしまっては元も子もない。スポーツほど、妥協の物産と無縁でなければならないものはないからだ。

 

迷走や 監督選びで オウンゴール
 

エッセイスト・小矢部市出身

 
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