馳浩の快刀乱筆

 お受験殺人だろうか 

 親の弱さが招いた事件

平成11年11月28日富山新聞掲載


 

 お受験殺人なのだろうか?

 東京文京区の二歳女児が行方不明になっていた事件は最悪の結末を迎えた。遺体で発見されたのだ。殺人、死体遺棄容疑で逮捕された容疑者は顔見知りの主婦。女児の兄が通う幼稚園の保護者。「親同士の心のぶつかり合いかあった」と犯行の動機を供述していることからこの事件の特異性が浮かび上がった。

 関係者の証言によると、この秋、殺された女児と容疑者の子供は同時に地元の名門幼稚園を受験。二人の合否が分かれ、それを機に母親同士で口論が続き、トラブルを抱えていたという。親同士の確執が事件の根底にある。

 つまり、有名幼稚園へ通わせようとする子供の教育に熱心な親たちのいさかいがエスカレー卜したお受験殺人事件だと言うのがマスコミ論調。お受験もとうとうここまで来たか、である。

 さっそく中曽根弘文文部大臣が過熱するお受験を問題視するコメントを記者会見で発表していた。世をあげてお受験批判の嵐が巻き起こりそうである。

 そういうストーリーに仕立てあげるのは確かにマスコミらしい。しかし、私はあえて「親の弱さ」を指摘したい。

 親が子供の教育に熱心なのはあたりまえ。通わせたい幼稚園を選び、受験させるのもどうぞご自由に、だ。それぞれの家庭に事情があるのだからとやかく言えない。競争が激化すればそこに涙ぐましい努力が必要なのもあたりまえ。

 この一連のあたりまえの過程において親の見栄、エゴ、思いあがり、そして無理が生じているのではないか、ということ。親が勝手に盛り上がり、受かれば有頂天、落ちれば屈辱と極論の落とし穴にはまってはいないだろうか。「受験用の子供」へと自分の子供を色付けしてはいないだろうか。まさしく親の弱さが引き起こした最悪の事件だ。

 

お受験も 凍りつくよな 親のエゴ
 

エッセイスト・小矢部市出身

 
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