馳浩の快刀乱筆

 スポーツマンよ辰吉に学べ 

 引退会見の言葉に生きざま 

平成11年9月5日富山新聞掲載


 

 スポーツマンは肉体言語で感動を表現してくれる。しかしメディア時代においては気の利いたコメントを発してこそ大衆に愛されるスポーツマン。日本のプロスポーツシーンで口八丁手八丁で我々ファンを楽しませ、エキサイトさせ、活力を与え続けてくれたのが辰吉丈一郎選手。しかし、ウィラポン選手とのタイトルマッチに破れ、いさぎよく引退を表明した。その引退会見の一言一言は、ボクシングファンばかりでなく、多くの日本人に問題提起をした。

 「勝ってボクシングをやめるより、負けて引退した方が得られるものが多い」

 確かにそうだろう。人間、成功し、勝ち続けている時は他人のアドバイスに耳を傾けたり謙虚になどなれないものだ。とりわけスポーツ選手はプライドばかり高くて協調性に欠ける人が多い。こてんぱんにやられて自分のカを思い知って、鼻っ柱をへし折られてからの方か、思いやりの心を持てるものだ。

 「ボクシングは止めるけど、辰吉はまだ終わらない」

 つまり、ボクサーとしては引退するけれども、人間辰吉丈一郎としてはまだまだこれから、という意気込みである。家族の一員、社会の一員として引退後の人生こそが重要だというのである。プロスポーツ引退者には、「過去の栄光」に引きずられて、ちっとも成長しない人が多い。たまたまそのスポーツで第一人者であっただけなのに、変に優越感を持ちすぎ、社会性や経済力などないのに見栄を張ってムリをしている人を私はたくさん見ている。その虚勢は哀れであり、いじましい。

 スポーツマンは、自分のスポーツにおける能力は万能ではないと自覚すべきだ。と同時に、自分が何物であるか(社会において)を知るためにも常に言葉を発して自分のポジションを確認しているべきだろう。

 そんなかっこいいスポーツマンが、辰吉丈一郎だった。彼にスポーツ言語を学び、生き方を学ぶ少年たちは多いはずだ。辰吉よ、ありがとう。お疲れさま。 

 

人生の ひと夏終えて 秋を待ち
 

エッセイスト・小矢部市出身

 
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