馳浩の快刀乱筆

 流行は個性なのか? 

 おしゃれにも哲学を 

平成11年8月29日富山新聞掲載


 

 ん?何とはなしに私は秘書の顔に見入った。あまり妙齢の女性にお化粧のことでアレコレ言うとセクハラだとか言われるので黙っていたが、何か変だ。目立つ。キラキラしてる。

 よーく見ると、宝石のように光るシールやラメ入りのマスカラなどを使って目元にインパクトを与えている。目を強調して大きく見せたいからなのか? 気をつけて街行く女性をよくみると、目元キラリの何と多いことか。

 家に帰って女房に聞いてみる。

「あぁ、光るメークね。流行ってんのよ、この夏」だと。ほー、そっか。改めて原宿や表参道や渋谷の街を車で通り過ぎる時、若い女の子たちをチェックしてみた。するとまた気がついた。流行みたいなものがあるようなのだ。

 (1)茶髪 (2)ガン黒(グロ)(ガンガン日焼けしているまっ黒な顔、肌) (3)光るメーク (4)厚底サンダル (5)キャミソール

 どの娘も一人一人を見てみると「すっげー個性的」なのだが、集団でいると「何なの、ソレ?」って感じだ。まるで化粧品会社やおしゃれ雑誌が戦略的に作り上げた流行に尻尾を振って追従する個性のまるでない一団に見えてしまう。あるいは他人と同じでいることによって安心感を覚えてしまう主体性のない若さ、とでも言おうか。確かに若さの特権なのだろうが、そこに知性のかけらも感じないのは私だけだろうか。

 流行に敏感なのはおしゃれなのだろうか? 他人と同じようなメークやファッションで装っている人に「それが、何なの?」と言いたくなってしまう私は意地悪?

 私は言いたい。茶髪も光るメークもガン黒も厚底サンダルもキャミソールも大いにけっこう。

 でも、あなたらしい、あなただけの、あなたの知性が垣間見えるおしゃれになってる?「あなたらしさ」を表現できるおしゃれになっているのですか?と。流行とは個性なのですか?と問うてみたい。決して流行=あなたの個性ではないはずだ。個性とは哲学的なものであるはず。おしゃれにも哲学が欲しい。 

 

この秋を あなたの色で 染めてみて
 

エッセイスト・小矢部市出身

 
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