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馳浩の快刀乱筆
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たまごっちブームが去って久しい。あれはあれで楽しいゲームだった。おもちゃ業界にも活気がうまれたし、『電子ペット』という新しいジャンルも確立した。そして今、ファービーがヒットしている。
言語学習機能を持ったしゃべる人形『ファービー』の日本語版が売れている。当初用意した20万体は発売当日の午前中に完売。一大ブームとなっている。
実はわが家にも英語版ファービーが一体(一匹?)いる。おでこのタッチセンサーをさわると目をパチクリさせて何やらしゃべりはじめる。暗い場所に置き去りのままにしておくと、いびきをかいて眠り始める。遊んでいるうちに最大800種類のことばを覚えるというから、たまごっち以上にバーチャル(仮想)子育てを楽しむことができるわけだ。『私だけの心を受け止めてくれる愛情の交換相手』という位置付けであるから、人情味のあるおもちゃと言えよう。値段も3,980円というのだから買い求めやすい。ブームということで子どもから大人まで我も我もとなびいている。
しかし、私は不安だ。なぜならファービーだって飽きてしまえばただのゴミになってしまうということ。お金で愛を買ったって、しょせんは本当のいのちではないのである。過剰な期待は禁物だということを子どもたちは理解できているのか?という不安を感じる。
確かにわが家のファービーもあいきょうたっぷりに遊び相手になってくれるが、それ以上でも以下でもない。飽きっぽい1歳6ヶ月になる娘は最初こそ興味津々であったが、一週間もたつともう放り投げたり足蹴りにしている。悲しい末路だ。いつの日かゴミ箱行きだ。
おもちゃで愛を学ぶのもいいだろう。でも本当は人と人とのぬくもりあふれるつきあいからこそ学ぶものではないだろうか。お手軽にお金で愛を買えると思い込んではならない。
ファービーの瞳に涙を浮かべないための一句!
エッセイスト・小矢部市出身
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