新連載 馳浩の快刀乱筆
乱闘にもルールある
野球はケンカだ!

平成10年8月9日富山新聞掲載


 夏は野球観戦。甲子園にナイター。郷土愛とノスタルジアの高校野球に胸を躍らせ、プロの技に酔いしれる喜び。スポーツは潤滑油だ。ところが伝統の巨人対阪神戦で歴史を汚す乱闘劇が続けられた。せっかくの野球観戦を嫌な気分にさせられた、なんて私は思わなかった。プロレスラーとしての血が騒ぎ、燃えるような闘魂を感じたのである。まさに野球もケンカなのである。

 まず、ガルベスの審判団に対する侮辱行為。判定に不服を持ち、降板させられてベンチに引き下がる途中に、ボールを審判に投げつけておどかしたのだから、その行為は言語道断、言い訳のできない悪行だ。チームメイトに抑えつけられても暴れまわり、鋭角なエルボーで流血者まで出した。罰金、無期限出場停止処分は当然であろう。後悔先に立たずだ。

 そしてその2日後、嵐はまた起きた。

 両チームによるビーンボール、デッドボール合戦だ。やられたらやり返せ、目には目を、歯には歯をの乱闘で、見るも無残な甲子園だった。

 そこで、だ。ルールの下に競い合うスポーツマンとしてけしからん、テレビを通じて観戦する国民に対して見せてはいけない姿だ、との非難の声が多い。長嶋監督も反省を形として表すため、丸刈り頭になった。本当にそうか? いや違う。スポーツの原点は闘いだ。やられてもやり返さないのは闘争心の欠如だ。やられて平然としているなんて、見ている側にとっても、こんなに欲求不満のたまることはない。ムカッとしたら、その感情を爆発させてこそ闘いだ。大いに乱闘をやってもらいたい。感情の素直な発露こそスポーツなのである。

 ただ一点言いたい。乱闘にもルールあり。ピッチャーである槙原に対する阪神大熊コーチの飛びヒザ蹴りは明らかに人道上の反則だろう。商売道具の首や肩や腕をケガさせるなんて卑劣だ。殴ったり蹴ったりはケンカの常道だが、それにも程度と限度があろう。正々堂々としたケンカのやり方をテレビを通じて見せてもらいたいもの。日本人はもっとケンカ上手になるべきだ。ガルベスに一句。

白球を血で洗いても夏の月

 エッセイスト・小矢部市出身

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