新連載 馳浩の快刀乱筆
心打つ自然とマナー

白山登山で「哲学」を

平成10年7月5日富山新聞掲載


 石川県の白山。「くさん」ではなく、地元の人は「はさん」と呼ぶ。アクセントひとつで郷愁を感じるのは、日本人の性(さが)だろうか。まして信仰の山としてあがめられてきた敬けんさから、年配の人は「しらやまさん」と敬意を込めて手を合わせる。

 7月1日。毎年のように夏山開きを迎えた。石川県内外から100人を超える登山者が近年にはない見事な御来光に歓声を上げたという。参議院選挙の真っ只中、経済対策に知恵をしぼっている下界の騒がしさをよそに見ながら、山頂にたどり着いた登山者の心には一時の達成感が満ちあふれたことだろう。

 この白山。実は私も2年前から定期的に登りはじめて、いろんな問題に気がついた。

 まず、ゴミ箱がない。10年ほど前の石川県議会の議論の結果だそうだ。ゴミ箱があるとどうしてもゴミを捨てる。登山者が増えると自然とゴミが増える。だんだんエスカレートしてゴミ箱の周辺だけでなく、山のあちこちに空き缶やタバコのすいがらやビニール袋が捨てられる。いっそのこと、ゴミ箱を撤去してしまえ、との議論が高まり、本当にその通りに議決された。以来10年。山のどこにもゴミはない。登山者のマナーが向上し、ゴミは自分で持ち帰る、が浸透したのだ。富士山や立山を管理する自治体も見習うべきだろう。

 2つめは水不足。登るたびに山肌のむき出しが目につく。室堂付近の雪渓のほとんどが解けてしまっている。高山植物の勢いがない。まるでうちのおふくろの地肌のように元気がない。これも地球温暖化の結果だとしたら、怖い。大切な地球の財産なのに。

 そうは言うものの、御来光や雲海のパノラマは、私を哲学者に一変させてくれる。汗を流して得られる満足感や、高地ならではの高揚感は、人里のしがらみや化学物質に囲まれた日常の生活から心を開放してくれる。おためごかしの環境教育よりも、白山登山一回の方が効果絶大でもある。ああ、今年もはやく登りたい。永田町のアカを洗い落としに・・・・。

しがらみを お山にとかす 御来光

(エッセイスト、小矢部市出身)

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