「ポカラ」 1999 vol.17  隔月刊11・12月
特 集
1パーセントの可能性に賭ける

 外にまだ蒸し暑さが残る9月。参議院議員会館の4階にある、事務所のドアは開け放たれたままだった。廊下から室内の様子が垣間見える。時折聞こえる大きな笑い声。それは馳の、少々甲高いともいえる笑い声だった。この部屋の主は、白いYシャツにネクタイを絞めた参議院議員の馳浩だ。

 高校の国語教員からプロレスラーへ。その間にオリンピック出場も果たし、今は政治家の道も歩む。馳は臨機応変に人生の方向転換を重ねてきた。プロレスで、平成7年には選挙戦で、闘いを繰り広げ勝利を収めてきた馳を“勝負師”と呼ぶことに異論はないだろう。しかし、馳本人は自分を勝負師とは思っていない。
「俺は勝負師の道には入れないし、勝負師だとも思わない。冷静に自分の能力を判断して、石橋を叩いてもなかなか渡らないタイプだからね(笑)。自分で確信を持たないと、判断や決断は簡単には下せません」

 馳が思う勝負師像を尋ねてみた。すべては運に左右されるが、ときには運を手繰り寄せるために綿密な計算をする「ギャンプラー」、一瞬にして決まる勝敗、冷徹な判断力で立ち合いを制する「力士」、さらに大自然を相手に一年という長い時間をかけて収穫を上げる「農民」を、馳は挙げた。「調整型だから」と苦笑いした政治家は、勝負師の範疇には入らないようだ。
「オール・オア・ナッシング。リスクマネージメントができない仕事をしている人が、勝負師という印象だね。勝負師を見ているとドキドキするけど、それは彼らの仕事に保険が効かないからじゃないかな。俺にはできないから、ある意味で勝負師には憧れるよね」

 プロレスの試合同様、馳はいつも元気だ。取材の合間に訪れた客とも、覇気のある声で挨拶を交わす。「大きな声ですね」と言うと「ハッタリですよ!」と軽快に返してみせた。

 

現代の勝負師 

 勝負師とひと言でいっても、その在り方はさまざまだ。素の状態で物ごとに挑み、成功と失敗を繰り返す人もいれば、近未来を見越すだけの勉強とキャリアを積んで勝利する者もある。馳は典型的な後者。陽気でありながら、したたかな印象もある、現代の勝負師だ。
「プロレスラーにも政治家にも、なるためには努力したし、なれるという確信はありました。俺には政治家になる必然性があると感じて、選挙に出たわけです。自分だけの判断ではなく、いろんな人に調査をして、充分に石橋を叩いて判断を下したわけですよ」

 勝負に踏み出すとき、勘の部分はわずか1パーセントにすぎないと言う。過去から現在までに自分の中で培われた材料を、99パーセントの要素として大切にする。この地道ともいえる生き方は、馳の成長期の過ごし方にも一因があるようだ。

 争いごとや喧嘩は避けるタイプの子供だった。習っていた剣道も試合の結果よりは、毎日の練習内容にこだわった。学校のテストも点数は勉強した分だけ取れるもの、大学時代に在籍したアマチュアレスリング部でも、練習の成果がポイントやフォールなどの結果として表れるだけと考えていた。馳の両親は生計のためにコツコツとリンゴを育てる栽培農家を営んでいた。幼い馳も、四季を通じて下働きを手伝った。地味な作業の積み重ねが生み出す、年に一度の収穫。馳の地道な生き方は、この土壌が育てたといっても間違いではないはずだ。勘を最大限に活用して勝ちを奪い取る、そんな意識は馳にはさらさらない。
「勝負というのは何かの目的を達成するための手段のひとつ、と考えられると思います。行き当たりばったりの勝負に臨むのは勝負師ではない。勝負師として生きる人にはそれなりの蓄積がある、そういう意味で尊敬もするわけですよ」

 そんな馳には忘れられない勝負がある。教員時代に目指したロス五輪への出場を賭けた、レスリングの最終選考会がそれだ。死ぬほどの練習を重ね、相手の研究をして、作戦を練り、多くの人からのアドバイスも聞いた。充分な蓄積はあった。それでも・・・、
「緊張感というか、ものすごいプレッシャーがありました。冷静な自分がいて、これに負けたって俺の人生が終わるわけじゃないと、自分自身に対する言い訳を考えているわけ。でもやる以上は勝ちたい。負けでもいいという気持ちを持つ自分に勝負を賭けて、それに勝った。人が推薦してくれたから行けたわけじゃない。自分のすべてを背負って、試合で勝てたからオリンピックヘ行けた。あれはすごい自信になりましたね」

 プロレスラー、政治家へと転身する際には、周囲の人々の後押しもあった。反対意見ももちろんあったが、“彼ならどんな仕事も一所懸命やるだろう”という周囲の声が馳の背中を押した。自分の中に確かに残る蓄積と人望。勝利するために重要なふたつの要素を馳は携え、人生を切り拓いてきた。

 プロレスでは、アントニオ猪木の率いる新日本プロレスからジャイアント馬場の全日本プロレスヘ移籍した。これは野球でいえば、西武から巨人へ移籍するようなものであり、余程の力量と人気、信用がなければ、到底不可能なことだ。

 議員活動を行う傍ら、プロレスラーであり続ける。その裏側には人に言えないほど苦しいトレーニングをする姿が隠れている。リング内外で明るく、激しく立ち振舞う馳流の勝負の極意は?
「絵が描けないとだめだよね。自分がその立場になったら何をやりたいのか、自分が思う絵を描くためのデッサンカがあるのなら、勝負を賭ける意味はあると思います。夢や希望ではなく、自分の思い描いた絵で、プロとして社会に貢献できるという使命感をどれだけ持っているか。能力、ビジョン、選択肢がある中で、やるかやらないか。より広く大きく社会に貢献したいと思うとき、最終的に一歩を踏み出す勇気が出てくるんじゃないかな」

 

人生15番勝負

 馳浩、38歳。タレントの高見恭子さんを妻に持ち、1歳の娘の父親でもある。東京と地元・石川を往復して、政務に励む日々。人生を15番勝負にたとえれば「まだ人生の半分にやっときたくらい、ということで6勝1敗。1敗は一度離婚したことかな、ハハハ。勝ち越しを狙っていかないとね。まずは次の選挙。政治家というのは、任期が終わればただの人ですから」とよどみなく語る。プロレスラー、政治家、そして勝負師。馳はこれから何を語り、何を見せ、何を実行していくのだろうか。

 残りは8番。

 


馳浩 in Mediaメニューへ戻る



メールをどうぞ


ホームページへ