kintetsu News  2006.7.1


歴史街道 人間往来 第49回 

 馳浩さんが語る「額田王」の第2回。古典を現代に活かそうとする馳さんの視線は、万葉時代のヒロイン・額田王と同時に、1400年の時を隔てた現代日本の政界にも向けられます。今の日本で、当時の額田王に相当する人を挙げるとしたら?
それに対する馳さんの答えは……。

 

額田王(2)  平成の額田王

 古典をどう読むか

 古典文学に登場する女性だからといって、古典の世界に封じ込めておくのはもったいない。彼女の生きざまや心情吐露から現代人は何を学ぶべきなのか、そして彼女は何を言わんとしているのか、を行間から見つけることこそが、古典の本質。

 しちめんどくさい文法や書誌学や文学史などは、学者や国語の先生に任せておけば十分。受験古文なんて入り口。本質の部分とは、まさしく感性の涵養であり、「これが私だったらどうするか」と自分に問うてみること。それは時にはワイドショー的な視点であったりしても良い。

「現代版額田王って誰だろう!?」
 と勝手に遊んでみるのも一興。有名人であるがゆえにお名前を拝借することをお許しいただきたい。その人こそ、小池百合子環境大臣だ。

 

 共通するスタイル

 私は同僚国会議員として、また、自民党の最大派閥・森派の仲間としてそう思わざるを得ない。彼女の人間的魅力、閣僚としてのリーダーシップ、政党と権力者を渡り歩いてきた遍歴、女性としてのチャーミングさなど、どれをもってしても「額田王的」と映ってしまうのだ。

 検証してみよう。
 昨年の郵政解散の折り、いち早く「くの一刺客」として造反組の確信犯・K氏の選挙区に敢然と降り立ったのが小池さんだった。その宣戦布告ぶりは、新羅出兵の際に額田王が詠んだあの歌(斉明天皇御製という説もある)を想起させる。

 熟田津(にきたつ)に船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな

 時は斉明天皇7(661)年正月。百済からの援軍要請に応え、朝鮮半島へ出兵する途次。困難が予想される船出ではあったが、四国から九州へ向かう際、月が出たばかりでなく潮も満ちてきて、旅立つ兵士を鼓舞するに最高の条件、いざ行かん! とまあ、講釈師ふうに言えばこんな感じ。

 これを、小池百合子ふうに当てはめよう。
 時は平成17(2005)年8月盛夏。小泉純一郎からの援軍要請に敢然として応え、衆議院選挙にくらがえ出馬するその時、兵庫6区から東京10区へ向かっての決意の夜。小池さんは、長年親しんできた選挙区の支持者を前に、困難が予想される船出にあたり、旅立つ自分自身をみずからの言葉で鼓舞したのだ。

 ……郵政民営化は国民のため。反対する元同僚のK氏と闘うには、私は必然のチャレンジャー。経済優先で、環境大臣である私を攻撃してきたK氏を打ち砕かんために、今こそ最高の条件。国民の大義は我にあり。いざ、行かん!

 とまあ、ここまで言い過ぎると私も芝居やワイドショーの見過ぎかな?
 でも、でもだ。
 どうしても小池さんの美しさと毅然たる決断力か、私の中に額田王を呼びさまし、オーバーラップさせてしまうのだ。
 それに。
 小池さんたら、権力者を渡り歩いてきたことにかけては額田王どころじゃないもんなあ。政界へのデビューは細川さんの日本新党。そして小沢さんの新進党。その後は、流れ? 流れて小沢さんの自由党が分裂した後は、森総理時代の自民党へ。その自民党では、総裁派閥の森派。その森派から小泉純一郎総理が誕生すると環境大臣として永田町の地歩を固めた。

 

古典から「今」を考える

 どうだろう。
 天武天皇と天智天皇の兄弟に愛された額田王も、あふれる歌作という才能を武器に人心を動かした。小池さんは時の権力者に寄り添いながらも自らの才能を的確に発揮して、環境大臣というポストを枢要閣僚の一つにのし上げた。

 女性としての魅力だけではない。そこには国家観の表現という力がある。もしかしたら男性以上の大局観であろう。クールビズは流行語ともなったが、生活様式の一つに昇華してしまったのだから、政治家としての表現力は常人離れしている。

 小池百合子環境大臣を通して額田王を知る。額田王の人生や象徴的な歌風を理解しながら小池さんを理解する。この二人の女性の前では、男なんて可愛らしい権力者気取りに過ぎないのかもしれない。

 日本文学風土学会のメンバーである私は、毎年12月25日から2日間、近鉄奈良駅から歩いて3分の旅館「南都」に泊まり、近鉄線を乗り継いで大和路の文学遺跡や歌枕を踏査する。メンバーは大学教授や中高の国語の先生。古典文学の現地を訪ねながらも、風土を現代に置き換えて考察を深め続けている。私ですらもう25年の活動。

 額田王の示した女性観、国家観をいかに現代につなぐか? 小池百合子をいかに理解すべきか? 近鉄線を乗り接ぎながら、古典と現代を乗り接ぐこともまた、一興。               (つづく)


 奈良県立万葉文化館=橿原神宮前駅→奈交バス万葉文化館西口下車
 畝傍山(うねびやま)=橿原神宮前駅下車徒歩約45分
 香久山(かぐやま)=耳成駅下車徒歩約25分
 耳成山(みみなしやま)=耳成駅下車徒歩約15分
 大神神社=桜井駅→奈交バス三輪明神参道口下車 

 三輪山(大神神社)の眺め。額田王は天智天皇の新都・大津京に移る際、「味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際に い隠るまで……」とその魅力を詠んだ。

 

◆額田王(7世紀)

万葉集の初期を彩る名歌で知られる女性。『日本書紀』には、鏡王の娘で大海人皇子(後の天武天皇)に嫁して十市皇女を産み、その後皇子の兄である天智天皇に召されたと伝えられる。『万葉集』には、斉明天皇、天智天皇の時代を中心として、3首の長歌、重複も含めて10首の短歌が収録されており、その生涯の断片と情熱的な歌人の面影を伝える。




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