kintetsu News  2006.JUNE


歴史街道 人間往来 第48回 

 高校教諭からプロレスラー、さらに国会議員へとマルチな活躍で知られる馳浩さんが語る「額田王(ぬかたのおおきみ)」の第1回。古代日本の基礎を作った兄弟、天智・天武両天皇に愛され、そのロマンスを歌に残した額田王の面影は、今も人々の心をとらえます。そのなかには、現代日本のトップに立つあの人も……。

 

額田王(1)  首相と三角関係!?

 ある夏の日に

 平成13(2001)年の7月。参議院選挙戦の真只中。 とても暑かった。
 それは天候のせいばかりでなく、日本中が小泉ブームにわき返っていたからである。全国どこに遊説に出かけても、炎天下であるにもかかわらず、街頭には数千人の人だかり。一目小泉純一郎を見ようと、すさまじいほどの情熱で耳をかたむけていただいていた。

 私は自民党遊説局長。ボディガード役でもあり街頭演説の司会役でもあり、とにかく黒子として朝から晩まで一日中小泉さんのそばにいた。プロレスラーの前は古文と漢文を高校で教えていた私の経歴を知っている小泉さんは、土地土地で文学や歴史の話を聞きたがった。

 奈良県に遊説に入った時も、いかに演説の中にご当地ネタを取り込むかに夢中な一面があった。近鉄大和八木駅近くの空地での演説では 「柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺」 の一句を引き合いに出し、自分でも一句作って紹介してみせた。

 『大和路で 遊説すれば 人の波  ――どう、馳さん?」
 といきなりマイクを黒子役の私に向ける小泉総理。どっとわきあがる数千人の聴衆。いきなりふられて答えに窮した私は、
 『それ、季語ありませんよネ……』
 とコメント。

 『あ、そっかぁ。やっぱり素人はだめだなァ」
 とさわやかに答える小泉さん。こういった自然体の姿が多くの人の共感を呼ぶんだろうなぁ、と思わせたもの。

 

 “三角関係”の記憶

 その日の夕方だったろうか。
 橿原神宮(かしはらじんぐう)森林遊苑で最後の街頭演説。その直前。30分ほど時間が空き、二人で橿原警察署の署長室をお借りして休憩を取った。汗をぬぐい、ワイシャツを着替え、ソファに深々とからだを沈ませて目をつぶり、10分ほど静かにしていたと思ったら、急につぶやきはじめた。

 『橿原神宮って、畝傍山(うねびやま)があるんだよな。アレ、何だっけ、あの万葉集の歌。馳さん思い出せるかい、三角関係の歌!!』
 とてもうれしそうな声で私に問いかける小泉さん。とりわけ三角関係の発音に力がこもっている。

 『あぁ、それならこれですね!!
 「香具山は 畝火雄々しと 耳成しと 相争ひき 神代より かくにあるらし 古もしかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき」
ですよ』

 『おぉー、それそれ。さっすが国語の先生だな、馳さん。スラスラ出てきたよ。それで、誰の歌だっけ?』
 『中大兄皇子です』
 『それってどっち?』
 『お兄さんの方、天智天皇です!!』

 『そーだよそーだよ。弟の嫁さんをとっちゃうんだよなぁ。その女性が、額田王だっけ!!』
 『そうです。有名な話です。このストーリーを念頭におきながら歌を解釈すると、三角関係の話になるんですよね。お兄さんの中大兄皇子と、弟の大海人(おおあま)皇子が、一人の女性をめぐって争うというストーリーを、大和三山を登場させて思わせぶりに歌っているわけですよね!!』
 『素敵だなぁぁぁ……』
と、目を閉じながらうっとりとする総理。

 

 畝傍山のふもとで

 『もしかして総理、このネタを次の演説で使うんじゃないでしょうね』
 『ん? だめか?』
 『三角関係は、ちょっと、まずいんじゃないですかね。だって、一応、参議院選挙の応援ですから。マスコミもいっぱい入ってますし。面白おかしく取りあげられたら、まずいですよ』
 『……そりゃそうだなぁ。でも、たいしたもんだよな、額田王も。二人の兄弟を、それも権力者を手玉に取っちゃうんだもんな』
 『そうですね。だって最初につきあった弟の大海人皇子との間には、十市皇女まで産んでるんですから』

 『で、畝傍山(うねびやま)と耳成山(みみなしやま)と香久山(かぐやま)と、どれが誰なの?』
 『そ、そこまでは私も……』
 と、やりとりしているところで時間となり、二人で橿原神宮の畝傍山のそばまで出かけて行って、数千人を前に演説することとなった。

 さっそくうれしそうに語りはじめる総理。

 「香具山は 畝火雄々しと 耳成しと……」
 どっ、とわきあがる聴衆。つかみは大成功。さすがに三角関係のネタにはふみこまなかったが、上機嫌となって、橿原神宮前駅から近鉄線に乗り込んで、京都に向かったのである。

 車中では、一日の日程を終えた小泉さんが、ニコニコ顔で私を手招きし、こっそりとワンカップのコップ酒を渡してくださって、小さく乾杯した次第。
 『額田王にカンパイ!!』と。              (つづく)


 畝傍山(うねびやま)=橿原神宮前駅下車徒歩約45分/香久山=耳成駅下車徒歩約25分/耳成山=耳成駅下車徒歩約15分/桧原神社=桜井駅→奈交バス箸中下車徒歩約20分
 
大和三山のなかでも最も高い畝傍山。香久山(かぐやま)、耳成山(みみなしやま)とともに昔から敬われ、万葉集にも数多く歌われている。

 三輪山のふもと桧原神社前、井寺池のほとりには中大兄皇子が詠み、万葉集にものこされて、古来議論を呼んだ「大和三山の歌」の歌碑がある。

 

◆額田王(ぬかたのおおきみ)(7世紀)

 万葉集の初期を彩る名歌で知られる女性。『日本書紀』には、鏡王の娘で大海人(おおあま)王子(後の天武天皇)に嫁して十市皇女を産んだことが記されているが、家系や出生地など詳しいことはわかっていない。『万葉集』によれば、その後大海人皇子の兄である天智天皇に召された。十市皇女は天智の子大友皇子の妃となるが、その大友皇子は大海人皇子に攻められ自決する(壬申(じんしん)の乱)。




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