月刊「自由民主」 平成13年 12
私の青春時代 19

厳しい生活の中で人生を学ぶ(馳浩)


 専修大学体育会レスリング部。私の汗と涙と笑いの詰まった体育寮での生活こそが、青春時代の財産。

 1年生はドレイ。6畳一間の部屋に二段ベッドが3つ。つまり、6人一部屋。それも、1年生から4年生までがバランスよく同室。当然、1年生は雑用を一手に引き受ける。日直は朝6時から夜12時までベッドに入ることを許されず、電話番や先輩の世話係。その他にも、食事番、お風呂番、買物番。先輩からの指示に「ノー」という言葉は許されず、深夜に酒屋にビールを買いに行かされたり、授業の代返を頼まれたりなんて朝飯前。宿題のリポート作成なんて当たり前。飲み屋のツケを払いに行ったり、マッサージを3時間ぶっ続けなんて日常茶飯事。ちょっとでも反抗的な態度を取ったり、隠れてタバコなんて吸ったり、タメ口を使ったりしようものなら、ミーティングと称して屋上で1時間の正座が待っている。時にはゲンコツのおまけつき。なんて非民主的な集団なんだろうとの不満なんて口に出せるはずもなく、牛馬よろしくこき使われる1年間。

 しかし、からだで覚えさせられた敬語や電話の応対、その場の空気を読んで対処できる能力、如才のなさは、今でも私の人格を支えてくれているのは事実。また、1人が失態を演じてそのせいで同期生全員がとばっちりを食うという連帯責任の掟のおかげで、仲間を守る、他人に迷惑をかけないという信念も身についた。

 理不尽ばかりの生活の中で楽しみもあった。1年生の誕生日には、部屋祭りと称して盛大に各部屋独特のパーティーが開催される。すき焼、チャンコ鍋、鉄板焼といろいろあるが、すべて4年生と3年生が面倒見てくれる。お金も出せば準備も後始末も二日酔いの介抱から果てはゲロの始末まで。そして酒のたしなみ方も教えてくれ、悩み事の相談まで。ある時はゲンコツ親父であり、ある時は母親のような包容力で1年生の面倒を見てくれる。その姿を見て、1年生は上下関係の厳しさと真実を学ぶのである。レスリングのマット上に上下関係は全くないからこそ、体育寮の先輩後輩は固い絆で結はれる。小田急線の向ヶ丘遊園駅周辺を歩くと、今でも20年前の学生時代がよみがえる。「天ざる」「ギョーザ吉田屋」「よこ山」「ゆり」「中和ビル」などのおばちゃんやおじちゃんは健在だろうか?


馳浩 in Mediaメニューへ戻る



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