「自由民主」 2001.11.20 号
Face to Face 〈No.3〉対談シリーズ

師・先輩との出会いでぼくの夢は実現できた(馳浩)
ぼくは自分が選んだ学生を丸ごと面倒を見る(吉村作治)


 今、教育現場には危機感が漂っている。とりわけ、子どもたちが夢を持てなくなっていると言われているのが深刻だ。そこで、10歳のときから今日までエジプト一筋に歩んでこられた吉村作治教授と、夢を次々と実現してきた馳浩衆議院議員に、ご自身の体験と夢実現への提言を熱く語ってもらった。


ぼくらは社会人としての常識があるかを見る(吉村・馳)

馳 吉村先生のエジプト学研究所には若い人が多いんですか。

吉村 毎年4月になると、たくさんの新入生が入所を希望してきます。100名近くの希望者がいる年もありますが、とうてい面倒を見切れないので20名ぐらいに選別するんです。

馳 どういうふうに選別するのですか。

吉村 外国語の文献が読めないとだめだから、まず英語の試験をやります。それからぼくは常識のないやつが嫌いだから常識試験をやる。たとえば、今の東京都知事は有名でみんなわかっているけど、前の都知事は誰かというと青島幸男と書けない。鳩山由紀夫なんて書くのがいる(笑)。だって、10年くらい前に起きたことがわかっていないやつに、5000年も前の話をしてどうなるのでしょうか。3番目がエジプトの知識。それから面接をして、馳先生のように目が燃えているかを見る(笑)。

馳 ぼくのところにも、プロレスラーになりたいという若者が来ます。基本的にスポーツ歴などの履歴を見ます。そして、ちゃんとした字の書けない人、つまり常識のない人はその時点でハネる。そのあと道場で、身体能力などの入門テストをします。そこで私の目にかなう、前向きで、努力を重ねよう、のし上がっていこうという姿勢の人が10人ぐらい残ります。

吉村 ぼくは、英語ができない子には、きみは英語が一人前になってからもう一度来なさいと、そこのところで門を閉ざしてあげるのが親切だと思っている。

馳 おっしゃるとおりです。

吉村 馳さんも、ぼくと同じで常識があるかどうかがポイントのようですね。

馳 はい、プロレスの世界も一般社会と切り離して考えられないのです。たとえば、スポンサーさんと食事をしていて今日の株価の話が出たときに、株価って何ですかというようでは困ってしまう(笑)。プロレスというのは、最終的にはリング上での感性の世界なんです。大前提は体力だとしても、その場のお客さんが何を求めているかをハダで感じて、体で表現できなければいけない。

 

先生に身銭を切る気概がないとだめ(吉村)

吉村 馳さん、ぼくは大学の入学試験を全廃するべきだと思っているんです。大学の先生が英語の試験なり、面接をして、気に入った学生を10人選んで、毎年10人の学生の面倒をみる。当然、就職の面倒もみる。今、日本全国に教授、助教授、専任講師が約20万人いますが、こうすれば200万人の学生の面倒を見ることができるわけです。

馳 そういう意味では師弟関係ということが非常に大事ですね。

吉村 問題は、師となる、先生となる人間の気概で、先生は学生に対して四年間本当に責任を持たなければならない。

馳 そのくらい重いんですね。

吉村 そう、重いんです。だからぼくは、大学の先生に学生を選ばせろというんです。学校が統一試験なんかで選び、それで振り分けられたものに対してどう責任を持って面倒をみられますか。だから、幕末から明治にかけての塾、ああいう形をもう一度再構築していかないと、日本の教育はだめになってしまう。

馳 大学の教授や学部長などの話を聞くと、自分の学問のこととか、学園経営に注文をつけたり文句を言ったりする。しかし、あなた方は自分が教えている学生を就職させるために企業訪問を一回でもしたことがあるのですかと尋ねると、黙ってしまったり、それは私の仕事ではない、就職課の仕事だと言う。ふざけるなと言うんです。

吉村 昔は、クラス担任の先生はクラス会やコンパをするときには身銭を切って学生に食わせたんです。その代わり、俺の言うことを聞けと。今は学生が会費を集めて、先生を呼ぶんです。先生はただ食い、ただ飲みなんです(笑)。だから、学生が先生の言うことを聞かない。

馳 世界に通じる論文を書いていたとしても、そんな教授のところに学生はよって来ません。

吉村 かつての適塾にしろ、松下村塾にしろ、全部塾長が自分でお金を集めてきて、将来の日本の人材を育ててきたのです。ぼくのエジプト学研究所でも、ぼくが自分で稼いだり、企業からもらったお金で学生を育てているんです。大学は、集めたお金の10パーセントをよこせと言う。場所を使わせてあげるんだからというわけです。でも、ぼくはそれでもいいと思っている。ぼくの研究所は、言ってみれば吉村派閥(笑)。

 

「政治家になります」と3秒で即断(馳)

馳 ぼくは自民党に入ってまだ6年しか経っていないのですが、自民党というところは人材を育てるプロ集団だと思います。
 振り返ってみるとぼくの場合、人生のターニング・ポイントにおける恩師や先輩との出会いということが非常に大きかった。中学二年のときに文学の面白さを教えてくれた担任の俵先生、高校から大学にかけての松浪健四郎先輩(現保守党衆院議員、当時レスリング全日本チームのコーチ)や国文学の中田武司専大教授、プロレスラーになろうとしたときの長州力さん、それから政治の世界に入ろうとしたときにも。

吉村 政治家になるきっかけは?

馳 6年前の5月14日のことでした。当時、自民党幹事長だった森喜朗先生から、きみのような人が政治家になったらいいという人がいるが、どうするかと言われ、3秒後にはやりますと答えていました(笑)。それからはとんとん拍子に候補者として迎えられることになったんです。

吉村 なるほど。

馳 よく、高校の先生をやっていて、プロレスラーになって、さらに国会議員になってと、経歴が面白いですね、全部毛色が違いますねと言われるのですが、ぼくにとっては全部つながっているんです。すべてがぼくの生き方とつながっている。

吉村 ぼくの場合は本との出会いです。今日にいたるまで師に恵まれたことはありません。だから、そういう意味では馳さんがうらやましい。

馳 吉村先生はどういう少年だったのですか。

吉村 歌わせればオンチで音楽はまるきしだめ、体育の時間になれば、きみは砂場にいなさいなんて言われるぐらい運動は苦手だった。ぼくの居場所は教室や校庭にはなく、そこで逃げ込んだのが図書館でした。それで図書館の先生から、伝記を読みなさい、伝記になる人は成功した人だから、将来、どんな生き方をすればいいのか参考になると言われた。それからは、エジソン、キューリー夫人、野口英世と、図書館にあった偉人伝のほとんどに目を通しました。

馳 ぼくが図書館で初めて借りた本は「母を訪ねて三千里」でした。

吉村 ぼくも読んだよ、涙をながして。伝記の中で最も心をひかれたのは、エジプトのツタンカーメン王墓を発掘したハワード・カーターの自伝「ツタンカーメン王の秘密」だったんです。次々に出てくる財宝に胸をときめかせもしたけど、何よりカーター自身の生き方が魅力的だったんですね。周りとうまくやれなくても、絶対に妥協する必要はない、自分らしく生きればいいんだということを教えられた。

 

オールラウンドより、偏った知識のほうがすごいことがある(吉村)

馳 ぼくが国会議員になってはじめて議員立法の提案者になったのは、学校図書館法の改正なんです。これは昭和26年にできたもので、「学校には司書教員を置かなければならない」と定めているのですが、付則の第二項に「当分の間置かなくてもいい」とあり、これがおかしなことに46年間そのままずっと続いていたのです。で、当時の大蔵省(現財務省)ともみ合った末、平成15年の4月1日から「当分の間置かなくてもいい」は削ることになりました。ぼくは、図書館を子供たちにとってのオアシスのようにしていくべきだと考えています。

吉村 図書館はもっと活用されるべきだと思います。知識偏重主義がいいとかいけないとか論議されますが、ぼくは基本的に、知識のない子は夢は持ちにくいと思っています。しかし学校では、たとえば歴史の知識を暗記しなさいなどというから、みんな知識を持ちたくなくなってしまう。だけど、好きなエジプトのことなら、10歳のぼくでも何でも覚えてしまう。そういう偏りがいいんです。偏った知織でもいいんです。天文学もできれば、植物学もできる、動物学もできるというようなオールラウンドなやつはたんなるもの知り博士で、そこからは哲学も出てこなければ、人生論も出てこない。

馳 今日は興味深いお話をありがとうございました。 


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