法律文化 2005年6月号 毎週10日発行
【男女共同参画社会基本法の大義実現のために】
男女共同参画社会基本法がさまざまな議論を巻き起こしている。
高校教師のご経歴をお持ちの衆議院議員・馳浩氏に、男女共同参画社会基本法の概要についてうかがった。

point:男女共同参画社会の大義をよく踏まえた議論を
男らしさや女らしさ、慣行・慣習・家庭内・個々人のことなどを国が定義して介入するなどすべきではない。私的自治に任せ、話し合い対応していくべき。性別にかかわらず個々が最大限に能力を発揮できる社会制度にすべきである。

 

『基本法の大義』 

−平成11年に成立した男女共同参画社会基本法(以下、基本法/4頁・資料2参照)を受け、全国の自治体で条例がつくられていますが、その中でさまざまな混乱も生じているようです。「ジェンダーフリー」という言葉の是非が国会でも取り上げられました。馳先生は、一連の議論をどのようにご覧になっていらっしゃいますか。

 馳 ある方向に進めるため、国全体の方針を明らかにするのが基本法という法律の性格であり、都道府県や市町村の計画もそれをもとに練られることになります。問題が生じたとすれば、国がその基本法をつくったときのポイントを押さえておくことが必要になります。では、基本法の大義とは何か。その前文や第一条「目的」から、私は、能力のある女性が社会でその能力を男性と同等に発揮できる社会を実現すべき、というものとして受け止めています。

−地方自治にかかわることですが、その大義が地方で具体化されるとき、県立高校の男女共学化、男女混合騎馬戦など議論を呼ぶようなさまざまな現象(5頁・資料5参照)が報道されています。

 馳 計画を定めた都道府県、市町村にはそれぞれ議会がありますから、個別の事案に関しては、それぞれ地方の議会、地域の皆さんで話し合っていく問題だと思います。

−男女が同じ場所で着替えるなど、一般の市民感覚から外れたことが行われれば、やはり是正されていくということでしょうか。

 馳 私は、小学校や中学校での活動で、保護者と先生がよく話し合っていただきたいと思っています。児童心理学的には、恥の概念は、小学校3年生くらいから出てきます。社会的概念、倫理観です。自然発生的に男女ともに生まれてくる恥の概念は法律や条約で規定するのは馴染まないと思います。現場の話し合いが大切なのです。ただ私は、そのような議論が巻き起こる土壌として基本法ができた意味は大きいと思います。今までは能力のある女性が、社会的に、政治的に、経済的に、能力を発揮するチャンスに恵まれていなかった面があったことは否定できません。そのことについての議論の土俵がつくられ、現に全国で議論が行われている。国会でもこの間題がしきりに議論されるようになっている。それはよい傾向だと思います。功罪というなら、「ジェンダーフリー」という言葉の定義をめぐる混乱より、議論が活発になった意味の方が大きいでしょう。

−相撲の土俵に女性を乗せないとか、男の子、女の子でランドセルの色を固定化しないといったことは、国がいちいちガイドラインなどで明確にするものではないということですね。

 馳 日本人の悪いところで、何かにつけ「お上意識」が出てくる。反体制派にしても常にお上を意識している。反体制派がお上意識を意識すること自体おかしいと思います。あるべき姿はどうなのか、常にケースバイケースで論じていけばよいはずです。

『家庭や個々人の問題』

−民間企業も、女性を活用した方が経済合理的によいと考えれば、主体的に採用する。そこは国として数値目標を定めさせるなど具体的に指示するのでは。

 馳 私企業の活動については、国は抽象的にとどめ、個別的に指示するのであれば、育児休業など、制限、制約になっていることを取り除くべきです。法律や条例でも、出産一時休職、育児休業など政策的な誘導の方法はあると思います。私企業、公的部門の現業にしても、個々人の希望もあるでしょう。逆に採用する側にも組織の運営の円滑などの事情があるでしょう。そのような細部のことは地方に任せたいと思います。

 また、家庭内のことについても、市町村の男女共同参画社会の実現に向けての行動で、あまり縛るような計画は立てない方がよいと思います。私自身、家庭のことに口出ししてほしくはありません。家庭のあり方を法律や条約で規定するのは難しいでしょうし、国は個々人の意識に不用意に介入すべきではないでしょう。確かに基本法の第10条「国民の責務」に「学校、地域、家庭その他の社会のあらゆる分野において」云々という文言が確かにありますが、それはあくまでも抽象的な規定です。それを行動計画、条例などのかたちで規定するときは、慎重にされたい。基本法の精神、方向などのかたちで言及するのはよいのですが、具体的な行動計画の策定において、家庭のあり方を縛るようなかたちにはすべきではないと思います。

−男らしさ、女らしさ、個々人でとらえ方が違ってくるということですね。

 馳 国ではそれを定義しようとしない方がよいでしょう。文化的、社会的性差の弊害の解消ということがあっても、それこそケースバイケースです。日本古来の行事や祭礼とか地域に伝わる慣行、慣習として定着しているものもある。法律がそのようなものに個別に踏み込んで行くべきなのか、と問われれば、私自身は国会議員としてそこには言及したくはありません。

−いわゆるジェンダーフリーは、アメリカでは既に否定された考えに基づいている。つまり、脳の構造は男女で生まれたときからある程度違いがある。後天的なしつけや教育で、男らしさ、女らしさが決まる部分もあるというものです。高校数諭をご経験され、教育現場についても熟知されている馳先生は、性差についてどのようにお考えでしょうか。

 馳 私は、性同一性障害の特別措置法(※1)の立法にかかわりました。性差の問題は非常に難しいテーマですが、やはり個々の家庭でのしつけ、学校教育によって生じる違いはあると言えると思います。それについての教育方針は教育機関で各々、考えていただく。それに関して情報を開示をして、あとは利用者が選択するというかたちが望ましいのではないかと思います。学校経営は、今までのように文部科学省の押し付けでなく、学校評議委員制度(※2)もあり、学校運営協議会を設立できるコミュニティースクールもできて、地域の中で保護者や教員も参加して、学校の経営方針を考える時代になりました。最近では9%ほどの小学校、11%の中学校で、地域における学校選択制に移行しています。それを考えますと、われわれが国会で定めるものは抽象的な文言にとどめ、個別の問題については都道府県会議や市町村会議でしっかりと議論をして、それぞれの地域で判断していただく。そして仮に解決困難な問題が生じれば、司法で判断していただくというかたちでよいと思います。

−学校ごとの理念に基づいて、共学があってよいし、別学があってもよい。本人や保護者が選択していくということですね。

 馳 そういうことです。国がガイドラインを策定するなど、あれこれと言わない方がよいのではないかと思います。また、それが地方分権の理想に叶うかたちであろうと思います。

 『政党の取り組み』

−それぞれ自治の中で考えていくべきであると。

 馳 まさしく政党がそうです。国会議員としての立場で言えば、各政党、候補者の男女比をどう考えるのか。特に比例では男女同数の候補者を出していくとか、小選挙区でも同数を原則とするという努力目標を立てる。そういうことであれば、各政党が内規で定めることができます。そのような努力はできるはずです。また、政策の決定過程に男女同数とすることの意味は大きいと思います。
 首長選挙は難しいかもしれませんが、ただ議員選挙においては、各政党が公認候補を決める権限を持っているのですから可能です。

−政党の自治の範囲で決められるということですね。

 馳 政党が法的に規定されているのは、政党助成金法(※3)だけです。法律で義務付けるのではなく、各政党の内規、行動計画として世に問うかたちにしてはどうかと思います。

−基本法の精神からすれば、まず各政党でそれを考えていくべきではないかということですね。

 馳 憲法前文で国会議員が国民のリーダーとされていることを考えれば、正当な選挙によって選ばれる機会を、政党は、男女半々の候補者を出す。それを示すことも大切な政治的な判断であるはずです。それを国民がどう判断するか。女性に能力はある。では、その能力をつぶさに見れば、リーダーとしての資質、選挙で応援してくれる人がどれだけいるか。人格はどうか。政党は、人事評価を行うとき、候補者から、女性が排除される理由は全くないのですから。私は普段から、小渕優子さん、西川京子さん、野田聖子さんなど立派な女性の議員の活動を拝見して、素晴らしいと思っています。
 私が自民党の総裁になりましたら、積極的に女性閣僚を採用します。

−国が示した男女共同参画社会の大義を率先して実現するためには、国民の代表たる国会議員がまず範を示すべき、ということですね。

 馳 自民党も女性の議員を増やさなければならないはずです。まずは比例で、公認調整で党各部が原則男女半々にする。その努力をするべきではないでしょうか。議会で言えば、各政党、各会派が、所属議員の数が男女同数になるように目標を立てて、それに向かって、どのような努力をしているかを有権者に問う。それも一つのかたちだと思います。

−審議会についても、委員の女性の比率を30%に高めるという意見が出ています。

 馳 私に言わせれば生温い。各種審議会のメンバーも、原則として男女同数を目指してよいはずです。政治的な部分、経済的な部分、社会のいろいろな規範を決めていく部分と、参画する女性、男性は、半々を原則とすべきです。

『公務員を男女半数に』

−目指す社会を実現するためには、企画立案にかかわる公務員の世界や政党で男女半々という原則を示す、ということですね。

 馳 男女共同参画社会の大義を踏まえ、さらに踏み込んで言うならば、公的部門、例えば国家公務員、地方公務員、あるいは司法の分野における男女比を原則どうするのか。地方公務員でも国家公務員でも、男女同数という目標を掲げて、それに向けて行動計画を立ててみればよいのではないか。社会の一つの規範を示すべきもの、モデルとなるのが官公庁、議会なのですから、数の同数という意味は大きいと思います。

−基本法第2条に規定されている積極的改善措置が機会の平等か結果の平等か、という問題があると思いますが。

 馳 私はやはり機会の平等であると考えます。ただし公的部門については、公立学校の教員にしても、自衛隊員、警察官、消防にしても男女同数を原則とする。そして、その実現に向けて行動計画を策定し、推進していく。「共同参画」を謳うのですから、半々にすればよいのです。それが女性の意識変革につながり、チャレンジしようという女性が増えるのではないでしょうか。

 国家公務員にしても「全体の奉仕者」として国民に尽くすという観点からすれば、世の中は男女半数ずついるのですから、男女半々であってよいのではないでしょうか。そこから議論をした方が入りやすいと思います。そして、その動きをつくるのが政治です。女性に能力があるのに、チャンスが限られている。まずは入口を広げることが大事で、社会に参画する。それによって生じてくる二次的に弊害、障害を取り除く努力をすればよい。行政や司法の仕事はあまねく誰にでも最大公約数、しっかりと機会を平等に提供し、敗者復活の法的枠組みをつくるのが政治の仕事です。

 わが国の社会は、男女が共同に参画できない歪みがある。そのような認識からこの基本法をつくった以上、その方向に向けて、政治的な判断をしていかなければならないのは当然のことです。

−フェアなルールをつくるということですね。

 馳 ただしその結果、自然なかたちでの微調整は行われるかもしれません。公務員の採用でも男女半数の採用という原則を立てて検討をする。そこから見えてくるものがあるのではないでしょうか。予断としてあえて言えば、自衛隊員で男女同数は厳しいのではないか、警察官や消防士ではどうか。そのような議論になるかもしれません。児童心理学の面だけで言えば、小学校低学年はまだ依存的な性質を多分に残していますから、女性の教員の方が対応しやすい面があるかもしれない。議論の結果、国民は、職業によって男女比はケースバイケースでよいという選択をするかもしれない。それはそれで尊重されればよいでしょう。

 個別の事案に言及すれば、私の地元の石川県の教員採用試験について教育委員会の方に「学業の成績が少しくらい劣っていても、元気のよい体育会系の選手や指導力のある男性をもっと採用できないものか」と言うと、言下に否定されました。女性は一生懸命勉強をするし、能力もある。われわれも「教員としてがんばろう」という意欲のある人間をできる限り採用しようとしているが、特に小学校の教員の採用試験をすると、ペーパーテストをしても8割がた女性の方が上になり、面接をしても、女性の方が成績がよいため、どうしても女性の採用が多くなってしまう。また、今は情報公開法で成績が表に出るため、市民が納得するかたちとして能力のある女性を採用するしかない。そう言われれば納得せざるを得ません。

−男女の身体や脳の構造の違いから微調整される部分はあると。

 馳 それはあってしかるべきでしょう。さらに次に個々の能力の問題が出てくることから、原則半々としても、おそらく自然なかたちでの微調整は行われるのではないでしょうか。情実が絡まない能力判断の評価がなされて、調整されればよい。つまり、最低ラインを設定しておいて、そこに満たない者は男女限らず、採用しないとする。微調整はするわけです。政治家がよく使う言葉ですが「原則」半々にすれば、私は司法にしても今ほど極端な男女比にはならないはずだと思います。女性が裁判官や検察官になったとき、勤務時間が長く、配転も多いことから、出産や結婚、育児など個々人としての生活が極めて難しいといったことが社会的問題として表面化するかもしれない。では、それをいかに支えるか。あるいは裁判官や検察官の労働のあり方そのものを見直してはどうか、という議論になるかもしれません。そのような場合、政治的な判断が必要ではないかということです。

−そして、その議論の指すところが、冒頭でおっしゃられた、個々人が性別にかかわらず、個々の能力を最大限に発揮できる社会という意味であるということですね。

 馳 その次に見えてくるのが個々人の生き方です。男女それぞれについてまわる恋愛や結婚、出産、育児、家事をどうするか、という次の段階の議論に入っていかざるを得ない。私はそれらは国の計画などであまり縛らず、できるだけ私的自治の中で話し合いでうまく対応していくべきだと思います。


 ※1

 性同一性障害の特別措置法:正式名「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」。平成15年7月16日公布、施行。性同一性障害者に関する法令上の性別の取り扱いの特例について定める。  《文中に戻る》

 ※2

 学校評議委員制度:校長が、保護者や地域の方々の意見を幅広く聞き、開かれた学校づくりを推進していくためのもので、学校が家庭、地域社会が連携・協力しながら、特色ある教育活動を展開していくことができる仕組み。  《文中に戻る》

 ※3

 政党助成法:平成6年2月4日公布、平成7年1月1日施行。議会制民主主義において政党の果たす機能の重要性にかんがみ、国が政党に政党交付金による助成を行い、政党の健全な政治活動およびその公明性・公正性を確保することで、民主主義の健全な発展に寄与することを目的として制定された。政党交付金の使途については、政党から報告書が提出され、一般に公開される。政党に公布される金額は、所属国全議員の数や得票率に応じて算出される。  《文中に戻る》


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