北國新聞 2001年3月18日掲載
対談
「絶対学力で勝利をつかめ!」

衆議院議員・プロレスラー「馳 浩」
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石川大学予備校理事長「田中 健二」

 かたや、政治家にして現役プロレスラーでもある馳浩さん。こなた、医師にして石川大学予備校理事長である田中健二。ともに二足のわらじを履きながらも、そのココロは根っからの教育者。
 そんな共通項を持つふたりが、がっぷりタッグマッチを組み、受験教育に対する熱き想いを大いに語り合いました。一見型破り、その実至極まっとうな受験教育論ここにあり!


 馳さんに教わっていたらもっと古典が好きになっていたんじゃないかな

田中 驚いたんですけど、馳さんは予備校の先生の経験もおありなんですってね。

 プロレスラーの傍ら、大手のある予備校で古典の非常勤講師として三年間、特別講義を担当したことがあります。伊勢物語、枕草子、源氏物語・・・・・・まあ、この辺はかつて星稜高校でも教えていた専門分野ですから。

田中 古典を題材に取った本もたくさんお書きになってますね。『快刀乱筆』というご著書を読ませていただいたけど、ホント面白かった。僕は典型的な理科系人間で、学生時代に古典は大の苦手だったんだけれども、こんな先生に教わっていたらもっと好きになってたんじゃないかな(笑)

 ありがとうございます。『快刀乱筆』では和歌を和歌として独立して語るんじゃなく、いまの世相とからめて論じることで、現代にも通ずる普遍性を表現したかった。高校教員時代は年間指導スケジュールなどが決まっていて、自分ならではの指導をしたくても限界がありましたが、もっと古典のバックグラウンドを理解してもらうとか、エッセンスを伝えるような授業をやりたいなあとずっと思っていた。『「古典」簡単じゃないか』という本も、高校で教えていたときの気持ちを思い出しながら書きました。こういう観点で古典を見ると勉強が面白くなるよ、と。雑誌「蛍雪時代」に三年間連載していたエッセイをまとめたものです。

田中 「蛍雪時代」ですか。受験生と本当に接点の多い政治家でいらっしゃるんだなあ。

 大学は人材を育て世に出す場。そのためには入り口(入試)からポリシーがなくちゃね 

田中 今からクエスチョン・タイムです(笑)
馳さんは現行の大学入試制度、特にセンター試験についてどうおもわれますか? この十年余を振り返ってみれば、センター試験はけっきょく、当初の意に反して大学の格差付けをますます強くし、偏差値による弊害を助長してしまったように僕には思えます。ここに来てようやく、センター試験を資格試験的に利用していこうとか、実際の選抜は各大学とも二次試験で独自に選ぶという方向に変わりつつあるようですが。

 最終的決定はまだですけど、そういう方向に向かっていくでしょうね。その背景の一つとして、少子化が進み、子どもたちが大学・短大に全入する時代に近づいているという現実があります。特に私学などは、経営上の問題からも生徒を何とかして入れたい。そのうえで大学が棲み分けをしていくためには、学力評価という一面だけではなくて、人物や適正を見て評価するというやり方に変わっていくのは、当然の帰結だと思いますね。国公立にしたってこれからは、うちにはこういう先生がいるんだよとか、うちの大学を出てこういう社会人になったんだよとか、そういう点をもっと打ち出して行く必要がある。

田中 入試だって大学ごとにいろんな個性があってしかるべきで、センター試験のような全国一律、金太郎飴みたいにどこをきっても同じだなんて入試じゃだめなんですよね。

 ええ。入試で選抜して「ハイ、終わり」じゃなく、入学させた学生を大学がどういう人材に育てて世に送り出すべきか、それが大事なのであって、そのためのには入り口(入試)のところからポリシーがなくちゃね。

田中 今後、センター試験が本当に資格試験化の方向に改善されるとしたら、偏差値に頼る相対的な学力評価ではなく、大学という最高学府をめざすうえで絶対的に必要とされる「ホンモノの学力」が個々に試される場になる。つまり、僕が長年言い続けてきた脱・偏差値の絶対学力論がやっと時代の本流になるわけで、これは誠に喜ばしい(笑)

 それってある意味、今の日本の教育の最先端を走ってると考えていい。これからは義務教育だって絶対評価の方向へ進んで行きますからね。

田中 小学校だって絶対評価。通知簿は全員が「5」になるとかね。

 逆に、全員が「1」になる可能性もあるけど(笑) 要は、子どもたちにいろいろな評価の場を用意してあげりばいいと思うんですよ。学力評価だけじゃなく、運動ができるという評価、芸術的に優れているという評価、あるいは生徒会で活躍したとか、課外活動の評価もあってもいい。いろんな意味で絶対的能力のある人が正当に評価されるーーそんな全人的な評価を大学側もしていくべきだし、時代はそういう方向に変わっていくと思いますよ。

 学力は「生きもの」だから偏差値だけで判断するのは非常に危険だと思います

 偏差値礼賛の受験産業界にあって、一貫して脱・偏差値を主張してこられたというのは、かなりポリシーがないとできないことですね。

田中 僕は自分が医者だから思うんですけれども、学力というものは非常にデリケートな生きものである、と考えているんです。生きものだから体調や精神状態によっても微妙に左右されるし、一時的に伸び悩むこともあれば、努力を続けるうちに一気に開花することもある。そういう生きた学力を、一時点での数学的データー(偏差値)だけを見て判断するのは、非常に危険だと思うわけですよ。じっさい、模試ではA判定が出たのに落ちたり、逆にE判定から志望校に受かったりするケースはいくらでもありますからね。

 なるほどね。で、現実論として石川大学予備校の場合、どのような取り組みがなされているのですか?

田中 一つにはまず、授業は極力休ませない。入学説明会でも「うちでは一年間、拘束するよ。毎回出席とって、休んだら自宅に電話をするよ」と言ってます。

 ほう、具体的にはどんなシステムを?

田中 その日、その生徒が受けなければならない授業の出席カードを束にしてネームプレートと一緒に、受付に置いておくんです。すべての生徒が朝それを受け取って、授業ごとに先生に手渡す。そして先生は集めた出席カードを事務方に提出する。つまり、さぼらず授業にちゃんと出たら、朝の出席カードが夕方にはすべて戻ってくるというシステムです。それから、これも僕が医者ゆえの発想なんですが、うちでは生徒一人ひとりに合格カルテというものを作成している。学力の伸びや授業態度はもちろん、事務員や掃除のおばちゃんが、その生徒についてちょっと気になったことーー生活態度とか、表情が暗いけど悩み事があるんじゃないかとかーーそういう事柄まで事細かに観察して記入する。そのうえで合格に導くにはどういう指導が必要か、それぞれの生徒について処方箋を作っていく。

 えっ、事務員さんやお掃除の人まで生徒さんの名前を知っているんですか? つまり、学校職員全体で一人の生徒を全人的に見守っていくわけだ。なるほど、大手の予備校では考えられない。高校だってふつう、そこまできめ細やかな対応はしませんよ。

田中 僕に言わせれば、うちはあたりまえのことをやっているだけ。先ほども言いましたが、学力は生きものなんだから、模試の成績など数学的データはもとより、精神的な部分も含めて、日々変化する個々の生徒のあらゆるデータを頭にインプットしたうえで、より高い目標に到達できるように指導してやるのが、先生が先生たる存在意義なんじゃないかな。ところが、ほとんどの予備校がそのあたりまえのことをしていない。偏差値だけでしか生徒の学力を見ないのが実状でしょう。偏差値は学力を計る一つの目安に過ぎないというのに。

 偏差値だけで生徒の力が計れるものなら、先生でなくともコンピューターで間に合ってしまいますものね。

田中 そうそう。だから僕は口をすっぱくしてうちの先生たちに言ってるの。コンピューターがはじき出した偏差値を過信せず、自分のカンピューターを磨きなさいよ、と(笑)

 生徒の出席率がそのまま給料に響くシステムだから先生たちも必死ですよ

 教える側にとっては、資質と力量が問われる厳しい場ですね、石川大学予備校は。

田中 だと思います。加えて、うちでは主要三科目の場合、一つの科目に複数の先生を立てて、生徒が先生を選ぶという制度を採用してる。先生の都合じゃなく生徒、つまりユーザー最優先の考えから、教える側にも競争原理を取り入れたわけです。生徒の数や出席率がそのまま給料に響いてくるから、先生たちも必死ですよ。生徒の身になった魅力的な授業とは何か、一人残らず学力アップさせるにはどうしたらいいか、みんな切磋琢磨しますね。そうしたなかで残ってきた先生ばかりだから、うちの教師陣の質には絶対の自信を持っています。

 先生も鍛えられますね。僕は田中さんのおっしゃるユーザー最優先の姿勢が、予備校のみならず、公立であろうが私立であろうが、高校であろうが義務教育であろうが、学校教育全般で当たり前にならなくちゃいかんと思いますね。企業では、いかにいい商品を作り出そうとかと皆、一生懸命技術開発して、営業が必死に駆け回って企業努力している。努力しない人はリストラされる運命。政治家もしかりです。だめな政治家は有権者の審判で次の選挙に落選するんだから。教育の世界だって同じで、生徒はもちろんだけど、先生ももっともっと自分を磨かなきゃ、という意識改革が大事なんだ。

 プロレスも、受験勉強も、鍛えるべき部分は同じです

田中 馳さんは、現役レスラーとしてもリングに上がっておられるけど、政治活動との両立でよく体がもつなあ。

 プロレスは年間20試合くらいに出るから、体づくりは寝る間を割いてでもやりますよ。もう、想像を絶する過酷なトレーニングです。試合が近づくと、100キロぐらいまで体を作ります。

田中 えっ、そんなに体重があるんですか。ぜんぜん見えません。

 増えた分はぜんぶ筋肉。脱いだらすごいんです、俺(笑) どうやって筋肉をつけるかというと、基礎トレーニングをしっかりやるだけなんですよ。レスリングの体づくりで基礎といったら下半身。なぜかといえば、お尻や足の裏側の筋肉は体の中で最も大きく、それだけ酸素の摂取量が多くなるから、スタミナがつくんですよ。土台がしっかりしていればフォームは崩れません。だから徹底的に下半身を鍛えます。

田中 いやぁ、土台づくりが肝心ってところなんか、受験勉強とそっくりだ。僕はそれを、大地震にも耐えられる建物の完全無欠の基礎工事に例えて「絶対学力」と呼んでいるんだけど・・・。フロレスでも下半身を鍛えずして、いくら上半身だけ筋肉隆々に作ってもリングでは勝てないってことですね。

 そのとおり。格闘技というのは100キロ、150キロという相手に投げられたり、押し倒されたりしますからね。それに耐えるためのカギは、体の裏側の筋肉をつけることなんですが、これがものすごく大変。地味な基礎トレーニングを来る日も来る日も繰り返す。でも、裏の筋肉がひとたび備われば、試合のとき汗で滑ろうが、寒くて体が凍えていようが、常に一定レベル以上の力を出して、お客さんを感動させることができるわけです。

田中 まさに「絶対学力を身につけろ」という本校のポリシーと共通する話だなあ。

 僕の持論なんですが、どの世界にも通じる真の実力というものがあるとすれば、それは「理解力+表現力」だと思うんです。人の話を理解し、それを自分で咀嚼(そしゃく)・消化したうえで、自分の理論を構築し、今度はいかにそれをわかりやすく表現して人に伝えるか。政治家の仕事なんてまさにそうですし、企業に入ってもその繰り返しでしょう? 僕は受験にもこれがあてはまると思う。問題用紙に何が書かれているのかテーマを理解し、それを的確に表現(回答)するーーその基礎トレーニングの積み重ねによって、田中さんが言うところの「絶対学力」が身につき、ゆるぎない自信と実力をもって入試の本番に望めるんだと思います。プロレスじゃないけど、受験生だって、いついかなる挑戦(問題)でも受けて立てるように、気合いと迫力を持って勉強してほしい。

田中 受験も一種の格闘技ですね(笑) 闘う相手は偏差値でもライバルでもなく、日々の自分自身なんだけれども。

 自分に勝つには、何を将来したいから勉強するのか、大学を出た後でどんな仕事をして世の中に貢献したいのか、常に自問自答して「そのためにいま俺は、私は、頑張っているんだ」という動機づけも大切ですよね。浪人のときにそれを見つけると、その後の人生が必ず変わってくる。石川大学予備校のように、全人的に受験生をサポートしてくれる予備校というのは、そんな生き方の柱を確立できる場でもあると思いますよ。


衆議院議員・プロレスラー「馳 浩」
 プロレスの体力づくりは基礎トレーニングの繰り返し。下半身を徹底的に鍛えるんです。

石川大学予備校理事長「田中 健二」
 受験勉強もまったく同じ。土台を強化して絶対学力を養うことが勝利のカギですね。 


 メモ たなか けんじ

 1947年金沢市生まれ。慶応義塾大学医学部卒業。石川大学予備校、石川医療技術専門学校理事長。田中整形外科医院委員長。
 「教育者」にして「医師」というユニークな立場から、偏差値だけでは判断できない「生きた学力」を伸ばし育てる独自の教育理念を提唱し、真摯な姿勢で孤独な受験生と伴走する。著者に『猫にマタタビ、受験にクマヒゲ』(十月社刊)がある。


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