馳浩の
   永田町は、ほっかむり・・・

 

平成12年4月26日大阪新聞掲載


 

陰の実力者

 

 国会には、意外なところに陰の実力者がいる。例えば青木幹雄官房長官はその筆頭だろう。

 参院自民党の国会対策委員会のメンバーが20日夜、懇親会を開いた。その場にゲストとして招かれた青木さんは、いつも通りに口数が少なかった。目立った一言といえば、村上正邦議員会長が冒頭のあいさつで「国会議員もこのようにしゃれた場所(トップオブアカサカ=赤坂プリンスホテル40階のバー)で夜の会合をやるようになったとは、隔世の感があるネー。片山虎之助委員長もいい場所を見つけたもんだ」としゃべったとき、青木さんがぼそっと「ここは私の紹介ですヨ」と言ったくらい。

 この村上会長と青木さんは極めて対照的。「参院の尊師」ともアダ名されるくらい、大物の風格をまき散らし、ことあるごとに党内外に波風を立てる村上さんであるが、青木さんにだけは頭があがらない。

 この日も、小渕恵三前首相が入院してからの一連の経緯について青木官房長官の記者発表のワクを超える発言をして、青木さんの立場をないがしろにしたことについて、村上さんはみんなの前で深謝していた。

 何事につけ鼻っ柱の強い村上さんが、素直に謝るのは青木さんだけである。当の青木さんは平然としていたが。

 このトップオブアカサカに私が招かれたのも実は青木さんが最初。3年前の春の夜のことだった。当時は参院自民党幹事長代理として、野党交渉、党内人事の最大権力者であった。私を含めて一年生議員5人が招かれた。とりたてて議題もなく、世間話した程度であった。それまでの青木さんといえば、議員総会でもほとんど出しゃばって発言せず、さえない無口で野暮ったい田舎のおっさんという印象でしかなかった。派閥も違い接点もなかった。

 ところが、青木さんの方は驚くほど私のことをよく知っていた。立侯補から当選までの事情、森派内でのポジション、家族構成、国会での活動状況。こんなにまで派閥のちがうペーペーの一年生の俺のことまで調べあげているなんて、油断ならない人だな、との印象をもった。政治の天才たるゆえんだ。

 さんざん私たちに政治家としての考え方をしゃベらせた後、別れ際にこう一言くぎをさした。

 「みなさん能力もあり、前途洋々としている。不満があればいつでもわたしに言ってください。でも、私が最後にこうと決めたら従ってくださいね」

 口調こそおだやかであったが、この言葉には、有無を言わせない迫力があった。それも、赤坂の夜景を一望できるしゃれたホテルのバーの窓際の席で言い放つには不似合いな、政治的な意味合いを含んだ一言であったので、それまで元気に放言していた私たちも、青木さんに首根っこをギュツと抑えられたような気になったものである。

 まさしく、政治の舞台まわしをするために国会議員になった青木官房長官。今までの黒衣役が今では注視の的。でも、やっぱり今でも控えめで口数は少なく、そして情報を握る鬼である。

 

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