馳浩の |
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平成12年3月29日大阪新聞掲載
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地元石川県のA県議から泣きそうな声で電話が入った。「実は、B議長に辞表を書かせるために、馳県連会長が3月初めに示した県連大会先送りの方針を撤回することにしました。4月中に大会を開かせてくださるようご理解ください・・・」
「オレは聞いてない!!」
滅多に声を荒げることのない私が烈火のごとく怒ったので、県連幹事長をつとめているA県議はビビったようである。
「でも会長、党内の融和を図るためにはやむをえなかったのです。事後承諾で申し訳ありませんが、何んとかご理解をお願いします」
「県連大会を招集する権限は誰にあるんですか?」
「・・・会長です」
「会長は誰ですか?」
「馳さんです・・・」
「私の回答はノーです。3月初めに県連五役の皆さんの目の前で申し上げた通りです。県連人事も衆院選後まで先送りします。現執行部で結束して衆院選を戦う方針に変わりありません。議長人事は県議会の事ですから、国会議員とは関係ありません。県連人事とも関係ありません。私の方針は一切変わりません」
「会長お・・・B議長の次の予定者も控えていて、私も困ってるんですっ」
「ダメ、です!!」
事の発端はこうだ。県議会のB議長が、議長職をやめたくないがために、2つの条件を出したのだ。(1)6月議会まで議長職を続けるか、(2)議長人事と県連人事を連動させるために、4月中に県連大会を開いて人事を刷新すれば辞表を書く。
調整役のA県議は、困った。
(1)だと党内の次期議長候補がごねてうるさい。
(2)だと、すでに馳会長が示している県連大会先送り、という方針をくつがえすことになり。さぁ、困った。最終的には、党内の「ポストにつきたい」県議の圧力に負けて、私の了解も得ぬままに、(2)を選択してしまったというのである。
私が瞬間湯沸器のように怒ったのには2つの理由がある。1つ目は、3月初めに私が方針を決めたその場にB議長が同席していたにもかかわらず、県連人事を取引材料に使ったこと、2つ目は、私に同意も得ずに、党内のポスト欲しい病県議の圧力に負けて県連大会前倒しを決めてしまったことだ。
私は何も独裁者のつもりでいるわけではない。役員の目の前で方針を示し、了解を得て、県連運営の方向性を決めている。にもかかわらず、A県議もB議長も、自分の保身を優先させて意思決定をし、スジの通らないことを主張しているとしか思えず、怒りまくっているのである。こんなことがまかり通ってしまっては、国会議員と県会議員の信頼関係が崩れてしまう。またぞろ、「自民党は自分党」ということをマスコミを通じて県民に知らしめているようなモノ。私は、絶対、ゆずらない!!
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