第8回 「日記を『書く』」


 21年前恩師に教えられた毎日『書く』ことの大切さ

 私は学生時代から毎日日記をつけている。国文科の恩師・中田武司教授から、こう教えられていた。

 「馳くん。学校の先生になろうかという者は、毎日文章を書き続ける習慣を身につけておかなきゃだめだ!!」

 「どうしてですか?」

 「先生になったら、その事務処理量たるや想像を絶するモノだ。授業の予習復習ノートの作成に始まって、担任している生徒について気付いたことをチェックしておいたり副教材としてのプリントを作ったり、校務分掌で担当する分野の報告書を作成したりで、一日中書類作成しなきゃいけないんだから」

 「そういうのってタイプで打って印刷しておけば良いんじゃないですか? 見栄えも良いですし」

 「き、君は一体何を考えているんだ!!国語の教員になろうとしている学生の考える発想か!! 恥を知りなさい」

 「……す、すいません‥…」

 「国語の教員たる者、まず字が上手じゃなきゃいけない。別にキレイな字じゃなくてもイイ。丁寧な字を書いて、子どもたちのお手本にならなければならない。黒板に書くチョーク文字や、添削して返すノートの赤文字を生徒たちが見ることによって、心の通った教育が実現できるんだ。そんなときに丁寧な字で書かれてあれば、子どもたちは自然と先生のことを尊敬できるようになるんだ。逆に小汚い字であったとすると、どう思うかね、馳くん」

 「先生を小バカにします」

 「そうだろう。子どもの前で、丁寧で、書き順も正確に書いてみたまえ。それに生徒のノートに誰に見られても恥ずかしくない講評の文章を赤文字で入れてみたまえ。そのノートが生徒にとって一生の宝物になるんだよ。国語の授業とは、表現力と理解力を身につけてもらうことでしょ。その第一歩が、先生が生身の丁寧な字を書くことなんですよ」

 「それと日記と、どう関係あるのでしょうか」

 「にぶいねぇ。毎日、字を書き続ける習慣を身につけると、自ずともっと工夫してきれいに丁寧に書いてみようという気になるんですよ。同じ平仮名や漢字を書くにしても格好良く、見ている人がイイ気分になるような字を書こうという気持ちになるように自分を仕向けるんです。そのためには、書くことに億劫であってはいけないんです。少々疲れていても面倒くさくても、必ず毎日一定の分量を書く習慣を身につけることなんです」

 「どのくらい書けばよろしいですか?」

 「そうだね。大学ノート1ページ丸々、隅から隅まで書きなさい!!」

 「えーーー!! 中田先生、それ凄い量ですよ!!」

 「国文科の学生が何驚いているんだ!! 400字詰の原稿用紙で3枚程度。1200字くらいは30分で書けるのが朝メシ前にならなきゃ先生になる資格なんてない!!」

 「……‥(沈黙するハセヒロシ)」

 

 「習うより慣れろ」を教育のスタート地点に

 「何を書くのかわかってるのかい?」

 「日記、ですよね」 

 「その内容だよ」

 「その日あったこととか、感想とか・・・」

 「そうです、その感想が大切なんです」

 「どうしてですか?」

 「1200字を30分で書くというのはよっぽどの集中力が求められます。ですから、書くまでにいかに頭のなかを整理しておくかが問われます。ということは、一日中、何があってどうなったかを、そして周りがどんな反応したのかを心のなかで反復して心の整理整頓をしておかねばならなくなります。そういう訓練が終始されていれば、教員として有効な時間の使い方をすることができるようになります。つまり、いつも生徒に向けての目配り気配りが求められますから、意識のなかには生徒をしっかり観察し、心に留め、アドバイスを的確に送ることのできるシステムができあがります」

 「ほ――」

 「そんな間の抜けた返事しないの!!」

 「ハイッ」

 「つまり、生徒に心を配り、事務処理能力があり、ちょっとした日常の変化にも敏感に反応したうえで次の一手を打つことのできる教師になることができるのです」

 「次の一手を打つ、とは?」

 「生徒が求めるアドバイスや労りの一言を与えられる余裕ができるということです。頭のなかや心のなかが常に整理整頓されている先生というのは、子どもの目から見ても信頼おけるものです。逆に言えば、自己中心の、字の汚い、トラブルが起きてもあわてふためいて責任逃れをしたり見て見ぬふりをする先生というのは、人間としてバカにされ、先生として軽んじられるものです。馳くんはどちらが良いですか?」

 「それは、やっぱり、生徒から頼りにされる一人の人間として教壇に立ち続けたいと思います。バカにされちゃあ、先生失格です」

 「でしょ。だから、日記を書き続けなさい。大学ノート1ページ丸々。隅から隅まで。そのために1日24時間、自分のなすべきことを考え、なしたことの感想を持ち、それに対する周りの反応を読みとることのできる感性を磨きあげなさい。そして、30分で1200字を一気に書きあげなさい。そのためには!!」

 「そのためには?」

 「必ずボールペンかサインペンで書きなさい」

 「どうしてですか? 鉛筆じゃだめですか?」

 「ダメです。心のスキが生まれます」

 「心のスキ、って何ですか?」

 「消しゴムで消せるという安心感が生まれるということです。ポールペンやサインペンなら絶対に消せないでしょ」

 「ハイ」

 「その1字1字にかける真剣勝負が、的確な語を生み出し、洗練された文章を紡ぎ出す原動力となるのです。そんなことを毎日続けてごらんなさい。1年もすれば立派なモノ書きの卵になれますよ」

 「うわっ!! 小説家になれますか?」

 「それはあなたの努力と才能です。でも、モノを書くことを日常生活の一部とすることができれば、はるかに人生の幅がふくらみ、好奇心や向上心が身につき、知識欲も身につきます。実は学校の先生に求められるのは、そんな姿勢なんですよ。偉そうにふんぞりかえってるオイコラ先生なんかになっちゃイケないんです。自ら学び続け、自ら考え続け、いつも新鮮な好奇心で子どもたちにアプローチし、そして謙虚に頭を下げ、困難に直面しても笑顔で対応できる先生になるべきなのです。そのために、まず自ら進んで書き続ける習慣を身につけるのです。人間、習うより慣れろ、が教育のスタート地点です」

 「はい、わかりました」

 以来、すでに21年。

 私は今も、日記を書き続けている。

 中田先生の教えが身についたかどうかは、まだ答えを出せないけれど。


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