第5回 「挫折からのスタート」


 ヤル気に満ちて プロレスの世界に

 さようならはじめましての春が来る

 卒業シーズンを目前にひかえ、新たな道へ進もうとしている卒業生に対して趣味の俳句を1首プレゼントした。

 4年間、体育会レスリング部で汗と涙を流してきた彼らは、ある者は就職が決まり、またある者は残念ながら留年してもう1年勉強することになった。

 就職が決まったなかで、A君は私が世話をした。

 プロレスラーとしてデビューさせるべく、あるプロレス団体への入団を後押ししたわけである。

 彼は、当初不安をかかえていた。

 「監督!! 自分にもできますか?」

 と言うので、

 「誰しも最初は大変な辛い思いをするよ。アマチュアと違ってプロは痛いしね。でも、おまえなら十分やっていけるよ。いつも俺とスパーリングをしていて、体力的なことは問題ないだろう。プロレスは痛いし、連戦もあったりするから、そういうことに慣れるには半年ぐらい時間がかかるだろうけどね。大学で4年間がんばったことも自信になっているだろうし、何よりその体格は大きな財産だよ。素質は自他ともに認めるところなんだから、チャレンジしてみろよ」

 本人も悩んでいたようだが、最後には決断した。そして、

 「監督。両親にもプロレスの世界を説明してやっていただけますか? そんな大変なことにチャレンジするよりも、安定している公務員になれ、って言うんです。消防士とか警察官とか。監督が説明してくれれば、プロレス界のことも将来設計のことにも納得して賛成してくれると思うんです。親に心配をかけたくないから、ぜひ話をしてやって下さい」

 と懇願するので、「そりゃそうだ。わかった、説明するよ!」と、彼の故郷に出かけていってご両親に逢った。

 「ケガは? 給料は? 生活は? モノになりますか?」

 と次々に繰り出される質問にすべて丁寧にお答えした。

 不安が解消され、自慢の息子の将来の活躍する姿に期待を抱き、私の帰り際には、

 「本人が望む道を行かせてやりたいと思います。監督を信頼しますので、よろしくお願いします」

 とのありがたい言葉までいただいた。

 学年末試験を無事終了し、その1週間後、彼はプロレス団体の合宿所に入寮した。ふとんとほんのわずかの着替えだけを持って。まさしく、裸一貫からのスタート。ヤル気に満ち満ちていた。

 プロレス団体としても、金の卵の入寮に大きな夢を託し、数ヶ月後にはどんな形でデビューさせるかまで青写真を描いた。私としても、教え子がプロに初挑戦するわけであり、またご両親から「よろしくお願いします」と心を込めて頼まれたこともあって、何としても一人前のプロレスラーに鍛えあげようと燃えていた。

 

合宿所のなかで 自分の甘さに気づいた

 しかし。

 合宿所に入って3日後。

 寮長から連絡が入った。

 「馳さん! 朝からA君がいません。書き置きがありました。もう戻りませんから探さないで下さい、って書いてありました。どうします!?」

 と、がっかりした声で。

 がっかりしたのはこっちの方だ。

 あんなに本人の意思を、決意を確認したのに。ご両親にも丁重に説明したのに。あんなにヤル気にあふれていたのに。たったの3日間で、一体何があったというのだ。よりによって、夜逃げ同然に書き置きを残していなくなるなんて……。俺の顔も丸つぶれじゃないか!!

 半日後。

 A君が涙声で電話をかけてきた。

 「か、監督、申し訳ありません……」

 「何があったんだ。電話じゃわからないから、今すぐ説明に来いよ!」

 と国会に呼びつけた。

 伏し目がちに私の働いている国会の控え室にやって来たA君は、ポツポツとしゃべりながら、感極まって涙までこぼした。それは、どんなに辛いトレーニングにも音を上げずに大学4年間をがんばり抜いたA君が、私に見せる初めての涙だった。

 「何があったんだよ……」

 「監督、こんなに良くして下さったのに、期待に応えられなくて、すみませんっ……(涙々)」

 「いや、まぁ、人生いろんなことあるから、そんなに自分を追い詰めるなョ。一体どうしたんだ。気持ちを整理して話してみろよ。じゃないと、先に進めないじゃないか」

 「はい、ありがとうございます。何かあったわけじゃないんです。ただ、合宿所に入ってみて、あまりにも自分の考えが甘いことに気がついたんです」

 「どういうこと!?」

 「先輩たちの話を聞いたら、小さいころからプロレスラーを目指していて、絶対にこの世界で生きていきたいっていう執念を感じたんです。それに比べて自分は、就職先の一つとしてだけしか考えていなくて。それも監督のおかげで入門テストも免除していただいて入れてもらったわけで、まさかこんなにすごい世界だとは思わなかったんです。とても自分にはつとまりそうにありません」

 「オイオイ、まだ3日じゃないか。あまりにもあきらめが早いんじゃないか? 確かにおまえは素質も才能もあるから特別待遇にしたんだ。それは会社の方針なんだ。アマチュア出身のおまえのようなエリートも必要だし、何の実績もない、叩き上げの根性丸出しの新弟子も必要だ。その2つのタイプの相乗効果がリング上を活性化させるんだよ。入門してしまえば同じように努力をしてメインイベンターとなるスターを目指すんだから、おまえも歯をくいしばってがんばればいいじゃないか。あきらめないで。おまえだったらやれるョ」

 しかし、私のねばり強い説得も彼の心には届かず、結局、合宿所には戻ることはなかった。この間、ふるさとのお父さんから心配して連絡が何度も来たが、それでもA君の心は固く、プロレスラーへの道は断念することになった。

 今、A君はアルバイトで生活費を稼ぎながら、公務員試験を目指して勉強を続けている。

 「監督、やっぱり自分で自主的にやってみたいと思う仕事にチャレンジしてみます。監督に言われてソノ気になってプロレスラーを目指していた自分が甘かったんです。警察官か消防士になって社会貢献する道を目指してがんばろうと思います。こんな自分のために一生懸命よくしてくれた監督に迷惑をかけたぶん、しっかり勉強して目標を達成します」

 決意を込めて話すA君を見ていると、これもありかな、と思ってしまう。

 たった3日だけれども、世のなかの大変なことを彼は悟ったのだろうし。

 また、挫折を糧にして次の目標を見つけだした姿には前向きな意欲もあるし。

 人生は単線じゃないのだから、A君には「挫折でくじけずやり直す」という生き方を証明してもらいたい、とも思う。


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