第3回 「パパー、見てて見てて」


 親子3人3日間の家族旅行のなかで

 親子3人で季節はずれの沖縄旅行に出かけた。私も妻も、土日も関係なしに仕事に出かけていくので夏休みはなかった。まだ幼い一人娘に、せめてもの思い出を残しておいてあげたいとの親心から、日程調整をして9月中旬の3日間を空けた。

 9月とはいえ、沖縄の太陽ほ真上から容赦なく照りつけ、気温は31度。

 私と妻には直射日光はまばゆすぎるほどだったが、4歳になる娘にとっては時ならぬ夏の再来。何ものにも代えがたいプレゼントになったようである。

 ホテルにチェックインするなり水着に着替え、ビーチサンダルを履き、水中メガネを頭にちょこんと乗っけ、浮輪を腰のあたりでプラブラさせながら、ヤル気マンマン。

「パパー。りーちゃん(娘の名はりおん)ねー、泳げるようになったんだよー」

「ふぇー。本当にぃ!?」

「本当だよぉ。りーちゃんウソつかないもんねー」

「でも浮輪つけてでしょ!?」

「違うもーん。浮輪なくったって泳げるんだもーん。息つぎはできないけどネ」

「そっかー。たいしたもんだね」

「そぉ、凄いでしょー。だから、りーちゃんが泳ぐのずっと見ててねー」

「よっしゃあ。まかしとけ。ずっと見ててあげるから、いっぱい泳いでねー」

 この一言が、失敗だった。

 日ごろは娘が寝ている間に家を出て、帰宅するのは深夜。当然娘はぐっすり。

 親子の会話もはずみようがないほどの「母子家庭」ゆえ、年に一度の家族旅行くらい、娘を中心にして遊んでいてあげたいと思う親心を、誰も否定しやしないだろう。私は一眼レフのオートフォーカス高級カメラ片手に、娘を撮りまくってパパとしての威厳を取り戻すべく、鼻息荒くプールに向かったのである。

 プールに到着するやいなや、

「パパー、準備体操――!!」

「はい」

「パパー、荷物見てて!!」

「はい」

「パパー、ビート板取って来て!!」

「はい」

「パパー、写真撮って。ピース!!」

「はい、カシャ、カシャ!!」

 それはもう、まさに女王様の言いなり状態。それでも喜々としてカメラのシャッターを切りまくる私を、誰もバカ親などとさげすみはしまい。娘にアゴでこき使われる喜びを共有してくれるはずだ。

 

 バタ足延々5時間 「見てて見てて」の連発

 しかし。しかし、だ。

「パパー、見てて見てて!!」

「ん、何を!?」

「りーちゃん泳ぐから見てて。浮輪なくても泳げるんだよー」

「お、いよいよかぁ。見ててあげるよ」

「パパ、見ててね、ホラー!!」

 と叫んで5メートルほど進んでまた元に戻る。なんせ息つぎできないもんだから、どうしてもそれ以上は無理。

 プールに入る手すりのところから、

「パパー、見てるんだよー!!」

 と叫んでからプールに突入。バタ足で5メートル進んだら器用に方向転換して元の手すりでまたバタ足。途中1回も顔を上げないもんだから、手すりに戻ったときはゼエゼエ息を切らして肩を上下させている。それでもすぐにパパの姿を見つけて叫ぶ。

「パパー、見てたぁ!? りーちゃんすんごいでしょー。もう泳げるんだよー」

「おー、見てた見てた。すんごいじゃないのー!!」

 と無邪気に喜ぶパパ。いつまで見ていても飽きない、と思っていた。

「りーちゃんもっと練習しなよー!!」

 と声を掛けたのが重ねての失敗だった。すっかり図に乗ったりーちゃんたら、

「じゃあ、パパ、ずっと見ててよ、りーちゃん練習するから。わかった!? ずっと見ててよ、ずっと!!」

 と上目づかいにパパのことを凝視し、何度も念を押す愛娘。そのあまりの真剣ぶりに気圧されて、「は、はい」としか答えることのできない気弱なパパ。

 それから5時間。

 そう、まぎれもなく5時間。

 途中お手洗いに3回と、ホットドッグにオレンジジュースをたいらげる時間だけプールから上がっていたが、そのほかはずっとバタ足。

 延々とバタ足、5時間。

 それにつき合わされるパパ。

「パパー見てて見てて!!」

 と言われた時によそ見でもしていたり寝っ転がったりしていようものなら、

「見てるって言ったでしょ、パパのウソつきー!」

 と他のお客さん方の前で、怒鳴られることになる。ここにいたってさすがに周囲の目も、

「馳さん、お気の毒に!!」

 の同情のまなこ。娘想いの良き父親像が、ここに来て単なるバカな親にしか見えなくなっているわけだ。

 

 「見て見て症候群」をプラスとして教育のなかに

 私は思った。

 まだ、分別のつかない幼な子にとって、誰かにずっと見ていてもらうことが、とりわけ親にずっと見ていてもらうことが、そしてほめてもらうことが、どんなに重大なことか、を。

 ずっと見ていてもらう。

 そしで評価(ほめてもらう)される。

 その結果、自己満足し、さらに見てもらい、ほめてもらうために行動する。

 この一連の行動は、日ごろ交流の少ない馳親子だからこその限定された現象なのだろうか!?(確かに5時間は異常かもしれないが)

 そうではないのではないか!!

 人間誰しも、誰かに見ていてもらいたい、そして(良い方向に)評価してもらいたいと思い続けているのではないか。

 家庭内でも。

 学校にいても。

 職場にいても。

 仲間とのサークルにいても。

 合コンにおいても。

 自分の存在を誰かに見ていてもらいたい。チヤホヤされたい。もっと注目されたい。そしてもっと目立ちたい。そのくり返しによって、自分の潜在能力をさらに発揮して、自己実現をはかりたい。

 自己の許容範囲、可能性を追求し、限界をぶち破り、さらに向上したい。

 それは、4歳の子どもであろうが、10代の少女であろうが、20代30代40代……いくつになろうが、無意識のうちに求める行動ではないだろうか。

 教育の役割りの一つに、この「見て見て症候群」をプラスとして作用させることはできないだろうか!!

 そのためにも、「見て見て」を深く、包容力を持って受け止める側の姿勢、態度が求められるのではないだろうか。


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