第16回 「人材確保はお金から?」


 爛熟の時代を背景に 成立した人材確保法だが……

 自民党の文教族。森喜朗前総理を筆頭として、票にも金にもならない教育分野に、これでもかと血眼になっている軍団、などと党内では呼ばれている。今、そのなかで世代間論争が起きている。

 その火種は、人材確保法。
 「廃止を含めた見直しをすべきではないか」との経済財政諮問会議の提言に対して、
 「その通り。むしろ見直すタイミングは遅かった!!」 と息まく若手文教族と、
 「何をこしゃくな若僧どもめ。先人がどんな苦労をしてまとめ上げたかも知らないで、ほざいてんじゃねぇ!!」 と立法の経緯を持ち出して応戦する重鎮。

 この対立構造ほど、浮き彫りになるにしたがって教育の「現実」が国民の前に明らかにされる論争はない。
 まず、人材確保法が成立した時代背景。それは昭和40年代のこと。
 わが国経済は、昭和30年代の所得倍増計画を受けて爛熟の時代。そんな世相を受けて、優秀な人材は企業の青田刈りにあい、学校の教員を志す者は「でも」「しか」先生と揶揄された。つまり、「先生にでもなるか」「先生にしかなれないし」という程度の意識付けで教壇に立っていた傾向があったのだ。

 「そんな志の低い者ばかりが集まるようでは日本の将来は暗い!!」
 「もっと魅力ある職場にしようじゃないか」
 「優秀な学生が目指したくなるような給与条件を整えてやろうじゃないか!!」 と、当時の自民党文教族が田中角栄氏と交渉して昭和49年に議員立法として作ったのがこの人材確保法。わずか3条からなる特別措置法。

 第一条の目的には、こう書いてある。
 「この法律は、学校教育が次代をになう青少年の人間形成の基本をなすものであることにかんがみ、義務教育諸学校の教育職員の給与について特別の措置を定めることにより、すぐれた人材を確保し、もって学校教育の水準の維持向上に資することを目的とする」 と。

 実はこの目的のウラには本音も隠されている。日教組対策として、教職員にめったやたらにストをさせないためにも条件闘争に先手を打って応じた、という事情だ。

 「学校の先生は労働者か、聖職者か!?」 とまで世論を二分した時代でもある。

 労働者であるから、条件闘争してあたりまえ、と開き直る組合教員もいれば、聖職者だから金のことを言うのはけしからんという風潮もあった。そこにイデオロギーも絡んだ。もつれた糸をときほぐしたのが、この人材確保法を自民党主導で成立させたことだったのだ。

 

学校教育水準の維持向上に 今必要なものとは?

 そういった経緯をふまえれば、国家財政が厳しい、少子化だからといって廃止論が出てくることは「教育論を無視している。何でも小泉改革の言いなりではないか。人材育成には時間も金もかかる。国家百年の大計は人づくり。廃止反対!!」 となるわけである。
 しかし、そんな過去は過去としても、収まらないのが現場主義派。
 「山梨県の教組が不正に政治資金を集めていた事実もある。ヤミ専従といっで、隠れて組合活動に没頭している教員も後をたたない。主任手当拠出運動も充分是正されていない。いまだに日の丸君が代に抵抗している教員もいる。さらには、土日も課外活動に励む熱心な教員もいれば、勤務時間が過ぎるとさっさと帰宅する教員もいる。あげくの果てには、教科書通りに授業をできない不適格教員もいれば、スーパー模範教師もいる。それらを一律に人材確保法で給与を優遇する必要はない」 と、口角泡を飛ばして反撃する若手文教族。

 こうなると、どっちの言い分にもそれなりに理はあるのであり、延々と論争は続く。ただ、ここで注目せざるを得ないのは、
 「給与をさえ優遇すれば、優秀な教員が集まり、義務教育の水準は維持向上するのか!?」 という教育の質論である。
 「でもしか先生対策」
 「日教組対策」 としては一定の役割を果たした人材確保法と言えよう。

 しかしながら、当時の目的がそのまんま現代に反映されているのかと再考する必要はあるのではなかろうか。
 「財政が厳しいから教員給与を減らせ!!」
 「子どもの数が減り、学級数も学校数も減ってきたのだから、給与費も人数も減らせ!!」 というのでは確かに乱暴である。

 だが、がんばっている先生も、そうではない先生も、一律にこの法律で守られているというのでは、「すぐれた人材を確保し、もって学校教育の水準の維持向上に資する」 目的とは相容れない。
 それこそ、
 ・教育現場の情報公開
 ・適切な基準での教員評価、学校評価、外部評価が教員の処遇に反映されること
 の方が必要なのではないだろうか。


戻る