第10回 「インターネット症候群」


 IT時代のど真中で事件が起きた

 「パパー、ケー夕イ貸してぇ」 とすり寄ってくる愛娘。
 「いいよー。何すんの?!」
 「ゲームするの!!」 と言いながら、ゲームに飽きてくると器用にボタンを操作し、インターネットの世界に入り込む。

 「これ、何?!」
 「メールだよ。やり方わかるの?」
 「ウン。ママに教えてもらったもんねー」 と見ていると、なんと、絵文字まで駆使して文筆を作り始めるではないか。

 「ママえ。こんどでーずにいランドにつれててね。パパいつもあそんでくれてありがとう(ハートの絵文字)」と。

 まだ小学校1年生。さすがにちっちゃい「つ」の打ち方や、「へ」と「え」、「お」と「を」の区別やひらがなとカタカナの違いはおぼつかないものの、ちゃんと文章にはなっている。そしてさらに操作を続け、あらま、ママのケー夕イに送信しちゃったよ、アッという間に。

 もしかして、パパが覚えるより早く、いろんな操作の仕方をマスターしているのかもしれない。それが証拠に、パパの知らないゲームを次々と引っ張り出してきて、ピコピコやっている。画面に顔を近づけて真剣なまなざしで。まるで自分の世界がそこにあるかのように。でも、真一文字に結んだ口元をじっとながめていると、可愛いいというよりもうすら寒く感じてしまい、注意した。

 「さ、もういいでしょ。ケー夕イで遊ぶのはこの辺でやめて、サイクリングに行きましょ」と取り上げた。
 不服そうなうなり声を上げたものの、最近補助輪が取れたばかりで自転車にも大きな関心を示していることもあり、あっさりと、
 「そだね。じや、公園に行こー!!」とケー夕イへの執着をあきらめた。 ホッ、とした。

 全国の小中学校には、ブロードバンドシステムでインターネットもできるコンピュータが配置され、今や時代はITなのである。政府お墨付きなのである。
 手紙よりも、ケー夕イメール。図書館でも、本の貸し出しよりもホームページのチェック。それも双方向。調べ学習にしたって、世界中の情報にヤフーの検索でネットサーフィン。何よりも、固定電話よりもケー夕イ。そのケー夕イで、写真も撮れればテレビも見られるし、タウン情報やショッピング。新聞よりも早くニュースが入ってくるし、ホテルや飛行機の予約までできちゃう。

 そして、面倒くさけりゃ電源オフにしちゃえば気楽なもんだし…。
 …と、ここまで私たちの生活になくてはならない存在となったインターネット。まさか、このIT社会のど真ん中が殺人事件の舞台になろうとは。それも小学校で。それも同級生女児同士が。

 この凄惨な事件をどう読み解くか、だ。
 特別な事例であり、この事件を契機に、世のなかの事象について大きな変化を求めるべきではない、との慎重論もある。私も一面そう思う。例えば、子どもたちからカッターナイフを遠ざけたり、インターネットを使わせないようにしたり、アクセス内容をチェックしたりなどの「内面、内心」に踏み込むような対処法は、根本的な対策ではないことは誰の目にも明らかであろう。そう思う反面、インターネットとの向かい合い方や、IT社会におけるモラルの向上について話し合うことは、これこそ社会の大きな変化に人間が追いつかねばならない国家的な課題である。

 そのことを考えるために、まず、断片的に伝わってくる加害女児の犯行のあらましについて整理しておきたい。

 

再発防止のための国家的課題は何か

 被害女児とは同級生。小学校6年生。犯行の動機は遠因も含めて次の事項。

 @母親の指示でバスケットボールクラブをやめたが、本人はやめたくなかった。
 Aパソコンの世界に、はまり始め、仲の良い友だち3人とチャットをするようになった。
 Bチャット上のやり取りがエスカレート。
 C髪型について好ましくないことを言われた。
 D体重について好ましくないことを言われた。

 Eぶりっこ、と言われた。
 Fチャット上のやり取りについて、会って直接謝罪を求めたが、拒否された。
 G殺意を明確に抱き、計画。
 H実行に移す。呼び出し、カーテン閉め、椅子に座らせ、目隠しをし、切る。
 I犯行後、足で小突いて死んだかどうかを確認。
 J犯行から、教室に戻るまでの10数分間の謎。
 K冷静に、犯行動機や方法を自供。

 ……このあらましを時系列を追って検証してみると「その程度のことで」「あんなに残忍な犯行を」「冷静に計画立てて」「実行してしまったのか」との疑問が、大人として湧き上がってくる、私は。

 「普通、そこまでするか?!」 とのマスコミや識者の憤りも大きい。
 そこで、分析してみよう。
 (A)「その程度のこと」 と大人が感じても、小6女児にとっては大変な心の傷ではなかったか。
 (B)「あんなに残忍な犯行」 のモデル情報に、女児が簡単に接することのできる日本社会は、どうなのか。『バトルロワイヤル』の悪影響。
 (C)「冷静に計画を立てる」 ところまででとどめる自制心が効かなかったのか。
 (D)「実行」 に踏み切らせた決定的な動機、深層心理は何だったのか、がわかり辛いこと。
 (E)「普通」 って誰を指すのか?

 ここまで分析してみてわかることは、ギャップの大きさではないだろうか。
 「小6」 「女児」 「悪口」 というキーワードと、「計画性」 「残虐性」 「情報性」 だ。つまり、現実と仮想現実の境界線が、今回の事件においては全くないということだ。

 この、現実と仮想現実の境界線の欠如、という現象こそが、インターネット症候群であり、日本社会の新しい世相であり、まだモラルとか抑制力などの及んでいない世界なのではないか、との危惧である。

 私たちは、この部分にこそ焦点を当てる必要がある。しかめっ面をした大人ですら、チャットやケー夕イメールで自己主張だけをし、現実逃避している時代である。そして、自分に不利な情報が流されたり、誹謗中傷を受ければ、それはタレ流しのままであるから、かかわりを逃れるために電源オフにするだけ。何でもかんでも、自己主張だけ立派になっちゃって、都合悪けりゃリセット、電源オフの国民性が、新時代の日本人像だとしたら、こんなにマヌケなことはない。IT社会が、日本人の倫理観、心の教育を木っ端みじんにしてしまった象徴が、今回の歴史的事件なのかもしれないのだから。

 被害女児に対して、そして遺族の皆様に対して、心より合掌したい。そして、IT社会とのかかわり方や、人間関係の構築のあり方、小中学校における殺傷事件の事故防止対策など、具体策に基づいて取り組まねばならない。
 それこそが再発防止であり、日本社会再構築であり、供養である。


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