心にうるおいをもたらすもの

「週刊 読書人」 1997年8月1日 掲載

 


 字中毒って本当にあるんだね。僕は中学生の時は遠藤周作。高校で向田邦子と有吉佐和子。大学に進んで山本周五郎と源氏物語。

 何の脈絡もないけれど、読まなきゃいられない時期って一年のうちに何ヶ月かあるんです。そうすると、読んだ後に誰彼かまわずつかまえて議論を吹っかけたくなっちゃうんだよね。読書好きの人には僕みたいに必ず読んで意見交換しないと気が済まないタイプと、一人静かに沈思黙考するタイプがいるみたい。

 周りはいい迷惑。でも僕のタイプの人間からすれば、理解というのは表現ということばと同義語なわけ。書いてあることを自分が理解したと実感できるのは、他人に話し、意見を聞き、ふむふむなるほど、と整理がついてから。決してななめ読みでは納得できないのだ。困ったもんだが、そうなんだから仕方ない。類は友を呼ぶ、ってやつで自然とそんな友人ばかり集まったりするもので、僕は毎日満足な気持ちでいられるのだ。

 て、そんな活字中毒者に欠かせないのが文庫。ハードカバーはかさばるしいかにも流行追っかけてます、って押しつけがましさがあるし高いし固いからだめ。やっぱ数版重ねて万人に読まれて「これ文庫にして細く長くもうけよう」という編集子の良識がすけて見えるような文庫こそ本の王様である。安いしかさばらないし折り曲げてポッケットに入れてるとファッショナブルだし。捨てる時にそんなに情が移ってないのもいい。大枚はたいて購入した「日本古典文学大系」なんて死んでもすてられないし。あわよくば古書店に売りつけて小銭稼ごうという気にもなるけど、文庫は十把ひとからげにしてさっさと処分できるから好きだ。活字は好きだけど、本自体を未練がましく本棚に入れて飾っておくなんて、携帯電話のメモリ−に昔のカノジョやホステスの電話番号をかけもしないのに保存して残しておくのと同じぐらい嫌なことだ。過去を反すうして生きるなんてカビ臭いじゃない。

 んなモノにこだわりのない捨て魔の僕が飽きずに持ら歩いている文庫本が3冊ある。

 和辻哲郎「風土」、高村光太郎「智恵子抄」、高見順「死の淵より」。

 「風土」は学生時代からだからもう16年になる。大学2年生の冬、日本文学風土学会にゼミの教授のすすめで入会して以来のつきあいだ。風土とはもちろん地形、地質、地味、気候など住民をとりまく物理的環境のこと。その風土が人間性や作品に与える影響は、後天性の要因として看過できない。作者や作品の風土的背景に迫ることから、その表現されているところの真実を探り出すことが文学風土学会の目指すところ。

 僕にとって風土的アプローチはわからないことをわかりやすく理解しようとする時の解決方法の軸である。そういうわけで和辻哲郎氏の著「風土」はパイブルなのである。人は生かされている、とよく宗教者は発言するが、僕の主張としては、「人は風土に生かされている」である。

 「智恵子抄」は中学校の国語科教科書に載っているから誰でも知っているだろう。でも知っているだけで理解しようとはしないから、僕のように20年間もずっとこだわって理解しようとして文庫本で持ち歩いているのはけっこう変人かもしれない。光太郎についても妻の智恵子についても伝記や年譜などで知ることは簡単だ。でも2人の夫婦生活の葛藤や、家庭の中に芸術家が2人いることの悲劇については、「智恵子抄」という文芸作品においてこそ理解されるべきであろう。彼には「道程」のような父性の発揮された作品もあるが僕にとっては智恵子との半生を記した作品の方が評価できる。「レモン哀歌」の冒頭「そんなにもあなたはレモンを待ってゐた 明るく白くかなしい死の床で・・・・」の一節は今でも衝撃的である。普遍的な「死」という題材に「レモン」「明るく」「白く」という素材の取り合わせの見事さ。我々が抱く死のイメージを根底からくつがえす言葉の妙である。

 僕は飛行機の座席でとなりの人に気をつかってひじを折りたたみながらこっそりと文庫本の「智恵子抄」を開き、死について哲学したりすることが何よりの至福の時なのである。

 あわただしくせちがらい世の中で、文庫本と共に一瞬の哲学の時。この切り替えあってこそ心にうるおいが生まれるもの。

 見順の「死の淵より」も、テーマは死。死について哲学する時、この特集ほど肩の力を抜いて語りかけてくれるものはない。

 「黒板」という詩のテーマが僕の持つ死のイメージである。「・・・・若い英語教師が/黒板消しでチョークの字を/きれいに消して/リーダーを小脇に/午後の陽を肩さきに受けて/じゃ諸君と教室を出て行った/ちょうどあのように/私も人生を去りたい/すべてをさっと消して/じゃ諸君と言って」

 どうだろう。こんな詩を文庫本は僕たちに気楽に運んでくれる。「死」は重い。

「重い死」を気楽に哲学してくれる文庫本こそ僕の拠り所なのである。

 


馳浩 in Mediaメニューへ戻る



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