「週刊ビーイング」 平成14年1月9日発行
からやりたい仕事適職だ!

今年こそ、働いて笑おう!
「適職発見」の新法則

あなたが本当に就きたい仕事は何ですか? 適職を発見するうえで、最初の一歩となるのは、この「したいことは何か?」を発見すること。「したいこと」はそう簡単に見つからないものだけど、過去を振り返ることで、楽しかったこと、充実していたことが必ず見つかるはず。そこにこそ、あなたの適職発見へのヒントがあります。年末年始にじっくり振り返って考えてみてはいかが?

取材・文/あおきのりこ 


 人の成長貢献したい
馳浩 (衆議院議員、プロレスラー)

文学を通じ考える力を養うそんな国語教師を目指した

 高校の国語教師からプロレスラーに転身し、現在は衆議院議員の馳さん。畑違いの分野へ2度転向した異色の経歴に、多くの人が驚く。

「だけど、僕の中ではすべてがつながっているんだよ。どれも目標を実現するための手段にすぎないから」

 異なる3分野を貫く1本の主軸。それは「教育」だという。

 馳さんがはじめて「教育者になりたい」と意識したのは中学2年のころ。ある国語教師の授業がきっかけだった。もともと本が好きな馳さんに、活字に表れない大事なことを教えてくれた先生だ。時代背景や作家の人生を知ることにより、作品の味わいは、より深まった。

「文学を通じ、自分自身でものを考える力を身に付けられた。そんなふうに僕も人を導きたいと思ってね」

 国語教師を志す文学少年である一方で、相撲や剣道に燃えるスポーツ少年でもあった。高校ではレスリング部に所属。スポーツ推薦で大学に進んだ。専攻は当然、国文学。レスリングと学業を両立させ、全日本学生選手権で優勝する一方で、教員免許も取得。卒業後、晴れて国語教師となり、母校へ赴任する。

 

感動が潜在能力を引き出すそれも教育のかたちの一つ

 しかし、教師生活1年目にして予期せぬ転機が訪れた。ロサンゼルス五輪への出場。その舞台で10万人の歓声に包まれたとき、今までに経験のない感動を覚えたのだ。

「スポーツの意義はただ勝つだけじゃない。瞬時にして多くの人に感動を与えるものだとそのとき知った」

 高校の教壇では、いつも緊張感とやりがいを感じていた。生徒との交流も楽しかった。けれど、どうしても物足りない。オリンピック会場で感じたものを、プロのリングでなら確かめられるかもしれない――そう思ってはみるものの、教師という安定した職業を手放してプロレスへ移ることに、当然戸惑いもあった。

 そんなとき、アメリカに渡り、高校生にレスリングを教える機会を得る。馳さんに容赦なく投げ飛ばされても、喜々とした表情で向かってくる生徒たち。そんな姿を見て、馳さんの迷いが吹き飛んだ。

「プロレスラーになったからといって『教師』でなくなるわけじゃない、そう気付いた。自分自身が熱い心を持って果敢に行動すれば、それを見た人は『自分にもできるかもしれない』と勇気を持つだろう。だれもが潜在能力を持っている。僕が闘う姿が、それを引き出せるんじゃないか。それも一つの教育のかたちなんじゃないかと思ったんだよね」

 

子どもが自ら考え、選択し、学んでいける社会にしたい

 不況の長期化で、大手企業の破綻も珍しくなくなった昨今。有名大学を出て大企業に入れば安泰という価値観は崩れ去った。そんな時代だからこそ、子供たちには自分自身で生き方を考え、選ぶペき道を発見してほしいと、馳さんは考えている。

 参議院議員への出馬要請を受けたとき、迷わず承諾した。それが目標を実現するうえで有効な手段だと判断したからだ。政治家の道を歩み始めて7年目。議員就任後の初仕事だった「学校図書館法」の改正が実現し、2003年に施行される。ほかにも数々の取り組みを実現させ、現在は教育基本法の改正に情熱を注ぐ。プロレスラーとしても現役で活躍中だ。

「僕はただ、やりたいことをやっているだけ。それは幸せなことだよ。子供たちにも、好きなことや適性を見つけて、それを磨いてほしい。だからこそ、それができる環境や制度づくりに取り組んでいきたいと思う」


エピソード

10歳

剣道場に通うスポーツ少年。
図書館で『母をたずねて三千里』を借りて読み、本が好きになる。

14歳

地元北陸出身力士の輪島にあこがれ、中学では相撲部に入部。

国語教師との出会いで文学への興味を深める
国語教師になることを決心

読む、書く、話すことが得意で、人からの嫌がらせをすぐに忘れる自身の性格を『教師向き』と考える。
文学を通じ、自分自身でものを考える力を身に付けさせてくれた国語教師の指導法に感銘を受ける。

16歳

レスリングを始める

ジャイアント馬場の影響を受け、高校ではレスリング部に入部。
国語教師になる決心を固めており、大学のスポーツ推薦を狙い、レスリングに励んで、国体優勝を果たす。大学では全日本学生選手権で優勝する。

23歳

国語教師になる夢を実現

オリンピックに出場
プロレスへの転向を決意

スポーツの持つ『人に感動させる力』を実感。『プロレスを通じ教育もできる』と考え、ジャパンプロレスに入団。その後、新日本プロレスの中心選手およびコーチとして活躍する傍ら、マスコミにも登場し、独自の文学論、スポーツ論、人生論、教育論を展開。

北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を訪問。日本との国交正常化の必要性を強く感じる。『とにかく何かやりたい。スポーツ指導者として、民間外交に努めたい』と考えていたころ、参議院選挙への出馬要請を受け、即決断。

34歳

参議院選挙に初出馬し、当選

参議院議員通常選挙石川選挙区より自民党の推薦を受け、出馬。
初当選を果たし、自民党に入党。

衆議院選挙に出馬し、当選

文武両道学生時代

闘魂熱きプロレスラー時代

教育改革への挑戦時代


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