『鴨下チーム』 昨年、あまりにも民主党政権のガレキ処理が遅いので、政府の対応を待ち切れず、自民党は二つの議員立法を提案し、成立させた。
一つは、ガレキ処理特措法。
もう一つは、放射性ガレキ処理特措法。
いずれも、与野党協力のシンボルとなった。
そりゃそうだ。
被災地のゴミ処理は、困ったことだらけ。○ 津波による塩害。(下手に燃やしちゃったら、ダイオキシン騒動になってしまう。)
○ におい。(昨年の梅雨どきから夏にかけては、ヘドロや海産物のくさったにおいが入りまじり、マスク無しでは被災地を歩けなかった。)
○ いつまでも片付かない、小山のようなゴミ。(これが一番気がメイる問題。町づくりをやり直したくても、ゴミがなくならなけりゃ、土地の再利用もままならない。)
○ 放射性物質の付着したゴミ、土、水。(これこそやっかいで、誰も引き取り手がなけりゃ、福島県は風評被害に沈んでしまう。)そこで、自民党の谷公一さん、小里泰弘さんのチームは、ガレキ処理特措法をつくり上げ、与野党調整をし、まとめあげた。
放射能ゴミ処理の方は、元環境大臣の鴨下一郎さんが音頭をとり、不肖はせ浩が事務局長として党内取りまとめをし、公明党の江田康幸さんや民主党の田島一成さんと実務者協議をし、およそ二カ月ほどで成立させた。
あれから半年。
やっぱり恐れていたことが発生した。
ゴミ処理の実務上の問題、ではない。
風評被害だ。
「被災地のゴミなんて!!」
「誰かがやるだろう!!」
「放射能コワイ!!」
「国の責任だ!!」
・・・・・・。おいおい、いったい去年の象徴となった漢字「絆」って、何だったんだ。
確かに不安や不満を主張する方々にも理屈はあるだろう。
でも、東北三県の小さな市町村のゴミ焼却施設や埋め立て場の規模では、数十年から百年近い時間のかかるゴミ処理。
全国の自治体で分担してあげなければ、いつまでたってもあのゴミの小山は片付かない。
ぶつぶつ言ってる人たちは、自分の足で被災地を訪問し、あのゴミの山の前にテントをおいて、一晩でもキャンプしてみればよい。
どれほど臭くて、どれほど気が滅入って、そしてどれほど絶望的な気分になることか。
3月11日。あれから一周年の式典で、天皇陛下も病をおしてお言葉を述べられた。
国民の助け合い、支え合いに感謝する、と。その3日後、さっそく自民党の鴨下チームは、再結集した。
目的は一つ。
「ガレキ処理促進立法チーム」だ。
今、目の前にある課題を洗い出し、ゴミ処理を手伝うことにちゅうちょしている全国の自治体の首長や議会の決断を促すための新たな法的根拠をつくろうというプロジェクト。
集められたのは、福島県選出の国会議員4氏。(岩城、吉野、佐藤、森)。環境部会長、経産部会長、農水部会長、文科部会長、国交部会長、厚労部会長、総務部会長、青年局長。
座長は、鴨下一郎。はせ浩はまた事務長。
さっそく、テーマを出し合った。「福島県では、放射線量の高い帰還困難区域を中心に、帰れない、帰らない意志を示す人が出て来た。土地の買い取り、借り上げを国の責任でやれないか?」
「大熊町は、町ぐるみでいわき市に間借りして、除染が済むまでまとまって活動したいという意見が出てきた。特区でできないか?」
「岩手や宮城でも、ガレキの放射線チェックをやるように言われる。国の責任で予算を出せないか?」
「さすがに福島県の放射性廃棄物を県外に運び出せないだろう。仮置き場や中間貯蔵施設や除染処理施設を、県内で引き受けてもらうためにも、国が全面的に予算も技術も手続きも代行すべきではないか。」
さまざまなシチュエーションを描きながら、立法で対応できることや、予算で対応できることや、現行法のガイドラインで対応できることなどを、総ざらえした。昨年、心配していたことが、やっぱり的中した、と、鴨下さんも私も緊張感を高めている。何とかしなければならない、と。
○ 被災地のガレキ処理促進。
○ 引き受ける自治体首長の決断と議会合意。
○ 放射能汚染の不安を取りのぞくこと。
○ 小さな自治体に対する、財政支援と職員や専門家の派遣。
○ 一時避難中の住民の生活支援と帰還準備。
○ 帰還困難地域への国の全面的支援。
どうだろう。
やっぱり、今こそ国民全体の団結と絆を証明する時ではなかろうか。