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馳 浩 衆議院議員 永田町通信 109
 

『武道精神』

 衆議院解散3日前。7月18日の夕方。
 私は選挙区である金沢市内の夏祭り会場にいた。 ご案内いただいた支持者とともに人混みの中に分け入り、
 「馳です。 ヨロシクお願いします!」
と、身体を2つに折り曲げ、握手を求め、2言、3言を交わしながら、有権者との距離を縮めるために汗を流していた。

 すると、夏祭り会場の一角がざわめいた。
 同じ選挙区から出馬予定の民主党のA候補もあいさつ廻りにやって来たのだ。 取材をしていた両陣営の張りつきマスコミも、このニアミスに「いい画が録れるかも!」と色めき立った。
 私はさっそく年上のA候補に駆け寄り、ごあいさつをすることにした。 ニアミスして知らんぷりは失礼であり、年下の私から声をかけることにした。 人間、まずは礼儀が大切だ。
 「Aさ〜ん、Aさ〜ん!」
 ところが。
 私の大きな声が聞こえているにもかかわらず、明らかに無視をして、反対の方向へと歩いて行った。
 スタスタと。
 (お、シカトかよ!)
 と、ちょっとびっくりした私は、さらに追いかけて声をかけた。
 「お疲れ様で〜す!」
 ところがところが。
 知ってて知らんぷりのA候補は、私が3m以内の距離に近付くと、何やら捨てゼリフを残しながら、やっぱり反対方向へと逃げるように足を速めた。
 「逃げられた。 そんな。 公衆の面前でケンカしようってんじゃなく、ごあいさつにと歩み寄ったのに。 ねぇ・・・」
 と、周囲のマスコミも、夏祭り会場に集まった子どもたちも、大人たちも皆ボー然。

 翌日の地元新聞朝刊記事のA候補のコメントがまたふるっていた。
 「最も用のない人。 握手しても票が増えるわけではない!」
 そ、そこまで言うかぁ?
 捨てゼリフを残しながら私から遠ざかって行った時、A候補の長年の支持者が私に対して(ゴメン、申し訳ないね!)頭を下げて黙礼していたのをA候補も知らないのだろうか。 その様子を夏休みに入ったばかりの小学生たちが唖然としてながめていたのをわからないのだろうか。
 とても残念だった。

 ところがその2日後、こんどは別の夏祭り会場で、またしてもA候補に出くわした。
 支持者らしき方々とテーブルを囲み、ビールを飲みながら談笑していた。 イスに座っていたので(今度は逃げられないだろう)、と後方から声をかけた。
 「Aさん、今日は握手できますよね!」
 しつこいと言えば私もしつこいが、Aさんは一瞬うろたえながらもわざわざ立ち上がって下さり、ガッチリと握手をして下さった。
 そして、一言。
 「オイ、今日はマスコミはいないよナ!」
 「え!? マスコミ? もちろんいませんよ。 いつも連れて歩いているわけじゃありませんから。 彼らもピンポイントで取材してるんでしょ。」
 ・・・・・・

 このやりとりをして、私はピンと来た。
 Aさんとは長年選挙区でライバルとして競い合っており、今度が4度目の激突。 日頃は温和な人柄で、努力家で、とてもケンカを仕掛けて他人を蹴落とすような好戦的なヒトではない。 ところが前回の態度は、周囲をTVカメラが取り囲み新聞記者が取材をしていたので、時期が時期でもあり、突嗟に身構えたようなのである。
 こんな時期に仲良く握手なんかしていたら、陣営の士気が下がるとばかりに、選対幹部から「相手候補とハチ合わせしても、仲良くなんかするんじゃない!」と、クギを差されていたようなのだ。
 ふう〜ん。 そんなもんか?!

 48歳になった今日まで、人生の大半を闘いの中に身を置いていた私からすれば、それは見当ちがいにしか映らない。
 礼節を欠いた闘いは、感情の赴くままのケンカに過ぎず、生産的ではない。
 日本人として本当の闘いとは、武士道精神そのものである。
 自己の心身を鍛練し、教養を習得し、他者を思いやり、礼節と仁義を美徳とする闘いこそ王道。
 何よりも、「何のために」 「誰のために」 命を賭けて闘うのかとの大義こそ正義。
 マスコミや、世論や、他国の顔色をさえもうかがいながら闘うというのでは、それは勝つためだけの私闘であり、本来の趣旨とは違うのではないだろうか。
 衆議院選挙とは、日本の未来に責任を果たすための覚悟の闘いである。
 マスコミの視線に右往左往して、浮き足立つような闘いをしては、足下をすくわれる。
 どの政党も、どの候補者も、武道精神を肝に銘じ、闘いの王道を進むべきだ。


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