Apple Town


永田町通信 99
 

『蔭腹(かげばら)!?』

 9月1日夜。
 福田総理が辞意表明した。
 驚天動地。 腹立たしくもあった。 あまりにも無責任ではないか、と、ふて寝した。

 9月2日昼。
 北信越ブロック議員協議会。 終了後、森元首相が石川県送出の馳、北村、岡田に話した。
 「うち(清和会=町村派)は、しばらく静観。 安倍、福田と二代続けて途中で辞めることになったし。 それに四代続けて総理大臣を出しているからな。 こういうことになって謹慎しなきゃ。」
 と。
 そりゃそうだ。

 9月3日、麻生太郎幹事長が出馬意思表明。
 満を持して、いよいよ麻生政権か。 4度目の挑戦であり、総裁→総理→解散→総選挙の流れが加速。 党内も一気に勝ち馬に乗る空気が充満してきた。

 その日の午後、私は小池百合子さんに電話。
 「どうするんですか?」
 「ヤル気はあるんだけど……」
 「ここは出るべきです。 政策論争です。 構造改革の路線は誰かが主張しなければなりません。 いよいよ額田王の出番ですね。」
 「でもねぇ……(推薦人が)集まらないのよ。 馳さん、音頭取ってくださる?」
 「……そ、それはできません(俺の頭の中には、謹慎、静観の字がよぎる)。 でも、小池さんが出馬するための推薦人として、私の名前はお使い下さい。」
 「え 本当にいいの?」
 「結構です。 大いに麻生さんと論争して下さい。 民主党との違いを見せて下さい。」
 「ありがとうございます。 元気出たワ。」

 9月8日夕方。
 清和会臨時総会。 金沢から上京した私は、重苦しい総会の場に遅れて入った。
 森元首相と中川秀直代表幹事が、ソッポを向いてとなり同士で座っている。 その姿を見ただけで紛糾は手に取るようにわかった。

 「自主投票」 「小池」 「麻生」……
 もちろん、発言者は多くとも、意見はまとまる気配を見せない。
 紛糾のケリをつけるべく、森喜朗最高顧問がマイクを握った。
 「皆さん、蔭腹を知っていますか。 私は今から、清和会を辞める覚悟で話します。」
 場内は一瞬、どよめきと共に静まり返った。

 「蔭腹とは、主君に苦言を呈す等の不義理を為す時、けじめとしてあらかじめ腹を切り、さらしでおさえながら本音を伝えることだ。
 私は個人として麻生をやる。 今はじめて皆の前で言います。

 麻生は、小泉〜安倍〜福田と、一生懸命支えてくれた。 今こそ、彼に対して恩返しすべき時でないか。 それに、わずか20人余りの麻生派が苦しんでいる時に、手を差しのべてこそ、総裁選後の人事で主張できるのではないか。 麻生は、外相、総務相、政調会長、幹事長と、総理総裁になるべき実績を一番備えているんじゃないだろうか。 今回わが清和会は自重すべき時で、わが派から総裁候補を出すべきではない。 従って、1人でも多くの同士が、麻生を支援してやることが人の道なんじゃないだろうか……」

 森喜朗最高顧問の演説、いや、蔭腹は40分続いた。
 「どうだ、君も何か言いなさい 」
 と、となりの中川秀直さんにマイクを渡そうとしたが、中川さんは黙ってマイクをそっと下においた。 発言はしなかった。

 

 9月10日昼。
 この日は総裁選告示日。
 小池百合子さんの推薦人として、馳浩の名前もオープンになった。
 お昼の清和会総会で、誰かが発言した。
 「派閥でしばりはかけず、自主投票で良いのではないですか。 それぞれが信念で各候補者を応援し、22日の投票日が終われば、また清和会として一致団結がんばりましょう!!」
 と。 それまでガマンしていたが、私は大声で挙手をし、発言した。
 「甘い。 総裁選挙は最大の権力闘争です。 バラバラに応援して終ったら一致団結という覚悟は違う。 私は、ご恩のある森先生とは違う行動をしました。 小池百合子さんの推薦人として、今日、名前が外に出ました。 自分なりにケジメをつけなければいかんと悩み、退会届を持って来ました。 中川代表幹事にお渡しします。」
 と、呆気にとられる皆の前で、森先生のとなりに座る中川さんに静かに退会届を差し出した。

 「馳が蔭腹してどうするんだ!」
 「辞める必要はないよ!」
 すると、森先生が腕組みしたまま言った。
 「ほっとけ。 こいつは言い出したら聞かないんだ。 言えば言うほど頑(かたく)なになる。」
 と。

 私はその場を退出せず、総会の最後まで着席し、自主投票だけど、派閥は麻生、という空気を確認した。


戻る