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永田町通信 96
 

『森喜朗大活躍?!』

 「おい、馳、そっち持て!!」
 と、言うやいなや、来賓席を素早く立ち上がり、壇上に駆け上がる森喜朗。
 昭和12年生まれとは、とても思えない腰の軽さ。

 で、式典の演壇のもう片一方を持つと、これ見よがしの大声で、
 「本当にもう、金沢大学の職員ときたら、気がきかないんだから。 演壇があると、せっかくの学生諸君の歌う姿が、お客様に見えないじゃないか。」 と、ぶつぶつ。
 それを聞いて、青ざめる中村信一学長と、文部科学省の清水潔高等教育局長。
 その、マンガのような一部始終を見て、大笑いする教授陣や来賓各位。

 あ〜〜ぁ、森先生ったら、演壇をすみっこに片付けるばかりでなく、立派な松の木の盆栽まで、とっとと片付けはじめちゃったよ。
 これには、林勇二郎前学長までがアワワワと両手を宙に浮かせて、何をして良いのやら恐縮の有様。

 みごと、森先生と俺の活躍で舞台上がきれいに片付けられ、金沢大学学生コーラス部による校歌斉唱が和やかに行われ、厳粛な式典が幕を閉じた……。

 森先生は、式典開会にあたっても、となりにすわっていたこの俺の耳元でささやいた。
 「おい、馳。 ここは国立大学法人だろ? どうして式典開会にあたって、国歌「君が代」斉唱しないんだ。 おかしいじゃないか!! 国から運営費交付金も研究費もいっぱいもらってるだろ? 敬意を表しても良いんじゃないか?!」
 ……って、そんなこと、確かにそう思うけど、俺に聞かれたって返答しようがない。

 「……じゃあ、先生がごあいさつでおっしゃればいかがでしょうか?」
 と、言うと、
 「よっしゃ!!」
 よっしゃ、って、本当にこの厳粛な式典の主賓ごあいさつで、そんなこと言うのかと思ったら、あぁ、本当に言っちゃったよ、森先生。

 「……ところで皆さん。 1つ残念なことがあります。 今日は金沢大学の、新学域学類発足という歴史的な記念式典にもかかわらず、君が代は斉唱されませんでした。 中村学長?何か理由でもあるのでしょうか? 大学の学長選挙は自民党の派閥抗争なんて子どものいさかいにみえるほど熾烈であります。 熾烈な学長戦を闘い抜いてこの4月から新学長に就任されたことに、心からお祝い申し上げますが、どうして大切な式典で国歌斉唱しないんですか。」
 しないんですか、って言われたって、いきなり言われてもそりゃ中村学長も答えようがないじゃないの。
 顔面蒼白になっちゃった。

 

 最近の森先生、ことほど左様に、どんな場面においても言いたい放題、やりたい放題である。 ふつう、70才を過ぎると、「耳順」と呼んで、何を言われようが世の中を達観して物事を素直に受け取められるようになる。 と、中国の古典にも紹介されるところであるが、こと森先生に限ってはその逆?を行っている。

 「おい、馳くん。 俺はな、70才を過ぎたらおかしいと思うことはおかしいと、素直に発言するようにしたんだ。 世の中の道理や長幼の序や義理人情や忠信孝悌をわきまえないヤカラが多すぎる!! 失礼じゃないか。 無礼なヤツが多すぎる。 どうしてもっと親や目上の人を大切にしないんだ。 弱い立場の人を思いやってあげないんだ。 お世話になった人に感謝を示さないんだ。 俺が俺が、ってわがままなことを言う人が多すぎる。 そういう乱れた空気をただしたり、道理に合わないことに腹を立てない人間になって、かっこばかりつけて自分だけ良い子になろうとする奴が多すぎる。 俺はもう、70才を過ぎたから、他人にどう思われようと、言われようと構わない。 でもな、どう考えてもこれはオカシイと思うことには、その場で声を上げて行動に移すことにしたんだ。 俺は何言われたって恐くないんだ。」

 確かに、元総理大臣に面と向かって進言する人は少ない。 マスコミが外野席からアレコレ言う位だ。 でも、森先生の言動は、だからといって傍若無人でない。 権力をカサにきて上から物を言いくるめるといった類の横柄さでないことは、よく判る。  前例や慣例にとらわれすぎて、本来、忘れてはいけないことや、人にスポットライトを当てないと、とたんに森先生の正義感は鎌首をもたげるようなのである。

 私は思う。

 福田内閣がなぜに低空飛行ながらも安定航行続けているのかを。
 それは、政局の場面場面において、後見人を自他ともに認めている森喜朗が、自らはピエロ役を引き受けながら、与野党と衆参の橋渡し役を務めているからではないか、と。
 そう思うと、またいつ、どこで、厳粛な式典で茶々を入れる森先生の真意に出会えるか、それもまた政局を読む楽しみの1つだ。


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