『国家観と政局の狭間で』 9月12日水曜日、お昼。
さて、あと15分で1時。 いよいよ代表質問だ。 国会論戦が始まる。 安倍改造内閣も反転攻勢に出なきゃな、と誰もが気合いを入れ直していた自民党代議士会の部屋。異変が起き、瞬く間に燃え広がるには時間がかからなかった。
「本会議の開会を遅らせてくれ、官邸の要請だ!!」
「30分程遅らせようか?!」
「どうしたんだ!!」
「重病らしい?!」
「何だって、辞意表明?!」
「2時から記者会見?!」
麻生幹事長と二階総務会長、そして大島国対委員長の耳打ち話がヒソヒソ話となり、次第に眉間にシワが寄り、目が吊り上がってきた。
事態は深刻を通り越して、大事件に発展。これが、安倍晋三総理大臣の突然の辞意表明の表舞台だ。しかし、ウラ舞台もある。
それは麻生幹事長の一言で明るみに出た。
「俺は2日前に知っていたよ!!」
ん? 2日前に辞意を知っていたのに、何の手も打たずに今日を迎えたのか?
さらに真相をさぐるとこうだった。12日の午前中、大島国対委員長と小坂筆頭が、官邸に安倍さんを訪ねた。
案件は、民主党の小沢代表との党首会談について。
「民主党の山岡国体委員長に今朝、会ってきました。 党首会談を開催することにやぶさかではない。
しかし、会ってやぁやぁと挨拶するだけでは意味がない。 具体的なことを提示してほしい。
ぜひ、安倍さんに具体的なことを提示してほしい、と、こういうことでした。 総理、いかがいたしましょう……」「……党首会談の申し入れも受けないのか……そうか……私は辞めます。」
「え! 何とおっしゃったんですか、総理!!」
「このままでは求心力がありません。 局面を打開しなければなりません。 テロとの戦いは国際公約です。 私がいることが障害となってはなりません。 本会議にも出るわけにはいきません。」
「そ……総理、そんな重要なことは私どもにではなく、麻生幹事長にお伝え下さい。」
「……麻生さんには、おととい伝えたのですが。 役員会のあとに伝えたのですが、受け入れてもらえなかったものですから……」
大島さんも小坂さんも、当然事の重大さにおどろいて決意をおしとどめようとしたのだが、総理の決意は固く、麻生幹事長と連絡を取って事態収拾を進めることになったわけだ。
その後の急展開は報道されている通り。
誰もが想像だにしなかった緊急事態。
このウラ舞台を分析すればするほど、安倍晋三という政治家の強さともろさが浮き彫りにとなる。 国家観という大局観を持ちながらも、政局というとドロドロとした激流に翻弄された小舟の弱さが対照的に描き出されるのではなかろうか。支持率70%で舟出したのはわずか1年前。
自民党総裁選でも圧倒的な支持を集め、麻生さんや谷垣さんを下した。
打ち出したスローガンは「美しい国」。
そして「戦後レジームからの脱却」。
靖国神社への参拝については「行くとも行かないとも、行ったとも行かなかったとも、言わない」というあいまい戦略。
総理就任直後には訪中を実現させ、外交的にも鮮やかなデビュー。防衛庁を防衛省に昇格させ、集団的自衛権四類型の解釈見直しについても着手した。
戦後59年ぶりに教育基本法を全面的に改正し、関連して教育再生三法案も成立させた。
何よりも憲法改正にこだわり、国民投票法も成立させた。
国家公務員法も改正し、天下りに厳しい規制をかける道筋もつけた。しかし、だ。 逆風3点セットによって国民の政治不信を増幅させ、参議院選挙に惨敗した。
・女性は子供を産む機械、ナントカ還元水、原爆しょうがない、などの閣僚失言。・次々と明るみになる政治とカネの不祥事。
・ダメ押しとなった、年金記録不備問題。
一部には「安倍さん本人の直接責任じゃないのに……」との同情論もあるが、世論の見方はきびしく「任命責任」「国政の最高責任者」としての重圧がのしかかっていくこととなるわけだ。
大局をとらえながらも、政局に足を引っぱられてしまった、との悔いが残る退陣劇。
ましてや、臨時国会の開会中。所信表明の直後。
代表質問の寸前。
テロ特措法への対策や、年金横領問題への対応や、6ヶ国協議への対応やらの国政課題は山積。
そんな中での自民党総裁選という、二週間の政治空白は、全くけしからん事態。
だからこそ、後継総理大臣も、大局観と政局観という政治の二面性のバランスよろしく、国民と日本という国家の水先案内人にならなければならない。
安倍晋三を全否定するだけでは、日本の展望は開かれないのだから。(了)