『今年の8月15日』 「去年はお参りの人が少なかったようですが、今年はテントに入りきれないほど満杯ですね。それ以上にマスコミの諸君が多いのはどうしたことでしょう!」
と、そう言ってニヤリと笑った森前総理。ときは平成18年8月15日。正午すぎ。所は石川県の護國神社拝殿前。
その式典は、石川県英霊を支える会主催による「戦没者追悼式」。
蝉時雨がいっそう暑さを際立たせ、背中を伝う汗が61年前の苦い想いをよみがえらせる。私は昭和36年生まれ。当然61年前のこの日のことは知る術もないが、それでも護國神社の拝殿にいて、遺族会の皆様とその時を共有し合っていると、終戦の重みを背負わされている心持ちとなる。戦争を知らない世代の国会議員であるがゆえに、もやもやとする。
反省と、贖罪と、感謝と、哀悼と、不戦の誓いと、独立国の気概と……。
英霊に対する万感の想いは一言では表現できない。数多くの民間人の犠牲があり、一部の政治指導者のあやまちがあり、近隣諸国の人民の慟哭がある。歴史の評価も、歴史認識も、事実の積み重ねの中で画一的なものではない。今しばらく、事実の究明と分析を必要としている。
諸々の想いを胸に秘めつつ、やはり我が祖国、日本国の今日の平和と繁栄をふり返るに、8月15日にこの社頭に足を運ばざるを得ない。まさしく萬霊鎮魂の一日だ。私がそんな考えをめぐらせていると、森先生はみんなが期待している言葉をつないだ。
「今朝、小泉さんが靖國神社に参拝されましたね。あれをテレビで見て、さて、私も石川県の護國神社にお参りをしなきゃとおいでなさったのではないでしょうか?」そうかもしれない。だからこそ、マスコミ記者やテレビカメラも、「8月15日の総理靖國参拝についてのコメント」を取るべく、小泉さんの盟友、森先生のあいさつの内容に注目しているのであろう。
「よくやったと思いますよ。」
と、はっきりとした口調で森先生はうなずいた。「よくもまあ、中韓の反対ある中で、わざわざこの日に靖國参拝しやがって」といったトゲのある「よくやった」ではない。
「日本人の心を想い、不戦の誓いをし、数ある批判を受けようとも、よくぞこの8月15日に総理大臣の立場でお参りしてくれた!!」と、心の底から称えるような言い方であった。二人の関係を良く知る私は、あれ?と思った。兄弟以上に仲の良い二人は、時に腹芸をしてマスコミ相手に大芝居を演じてみせる。
干からびたチーズ事件しかり、福田康夫擁立発言しかり。人柄の良い森先生は、あえて悪役や道化役を引き受けて小泉政権を支えて来た。その流れで行くならば、外交上の課題が多い「8月15日参拝」に関しては、苦言を呈する役回りを演じているのかな、と私は勘ぐっていたからだ。しかし、この日の森先生は、カメラの放列の中で静かで厳粛であった。私の後ろの席では、昨年のこの席で、
「私はA級戦犯がまつられている限り、靖國にはおまいりできません」
と高らかに宣言した民主党の前代議士が、森さんのあいさつにうなづきながら聴き入っていた。おそらく彼も、政治家が軽々に靖國を論じることの無益さを、とりわけこの日に口にすることの英霊に対する申し訳なさを感じていたのではなかろうか。決して政争の具にしてはならない靖國論をこそ、平時に皆が論じ合わなければならないのではないだろうか。この日は静かにおまいりし、祈りをささげるだけで良い、という空気が、小泉参拝によって日本国内の空気になったような気がする。私は、小学校3年生になる娘を同伴してこの式典に参列した。
2つの意味がある。子や孫の世代に、8月15日の日本人の複雑な想いを伝え続けること。そのためには、皆といっしょに両手を合わせて頭を垂れるしかないからだ。私はそう思う。もう一つは、これこそ性教育だからだ。
生命の尊さを理解させるには、戦争の悲惨さと、一つの生命の重みと、国を護った人たちの凄絶な死に様を教えなければならない。そんな大切なことは学校の先生にはできない。親が、我が子に直接語ることで、生命の尊さや祖先のありがたさを肌に刻み込まなければならない。そう考えていると、あいさつを終えた森先生が、娘にこう話しかけてくれた。
「来年は、うちの孫もいっしょにお参りに来るからね。」(了)