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永田町通信 69
 

『絶妙の票差』

 13,834対13,429票。わずか405票差。
 「薄氷の勝利でもあり、絶妙の票差だ!」 そうはっきりと宣言し、少々疲れは残るものの、闘志あふれる表情で森喜朗前総理は口元をしっかりと引き締めた。その闘いとは、石川県議会議員補欠選挙。選挙区は、市町村合併となったばかりの能美市(根上町・寺井町・辰口町)と能美郡(川北町)。

 元はといえば自民党現職が辞職して空いていた議席。石川県知事選と同時に補欠選挙が行なわれたのであるが、自民党県連会長である私としては、何としても勝たねばならない闘い。と同時に、是が非でも勝たねばならない2つの理由を背負って闘いに挑んでいたのが森前総理。

 1つ目の理由は、この選挙区が森代議士の出身地であり、自身の衆議院選挙があるたびに金城湯池であったこと。守らねばならない陣地ということであり、とりわけ県議補選であったとしても民主党推薦候補になど渡すことの出来ない議席。
 もう1つの理由は、自民党公認候補が、自分の息子である祐喜氏であったこと。別に親バカだから、と言うのではない。森家のDNAを受け継ぐ息子のデビュー戦において、下手なことは出来ない、という使命感が絡み合っていたのである。

 祐喜氏にとっては、自ら望んでの出馬でもなかった。能美郡市の自民党支部が、強力な民主党系候補に対して「勝てる候補」として白羽の矢を立てたのが祐喜氏。その要請に意気に感じて敢然とチャレンジしたのが実状。
 相手候補は3年前からドブ板の戦術を駆使して、何とか前総理という大物の地元を崩しにかかっているのに対して、曽祖父(首長)祖父(首長)父(前総理)と受け継いできた政治家としての遺伝子を守ろうと必死の祐喜氏。

 出馬を表明したのは2006年1月。投票日までわずか2ヶ月しかないという切羽詰まった中での決断。だからこそ、自分の選挙地盤を守る、自民党組織を守る、自民党議席を守るという大命題の中で、奮い立った息子のために、森前総理は目の色を変えたのである。その火のついた闘志に、周囲が敏感に反応した。

 まず、祐喜氏とは同じJC(青年会議所)仲間として麻生太郎外相が呼応し、応援に駆けつけた。
 次に、祐喜氏と同じ境遇(派閥会長の息子にして秘書官仲間)にあった安倍晋三官房長官が、冷たい雨の中を街頭演説に立った。そして、まさしく森前総理と同じ心境にある中川秀直自民党政調会長(中川氏のご子息も、地元市長選に出馬表明)も矢も盾もたまらず応援にかけつけた。

 口さがないマスコミ雀は、やれ親分の一大事に子分がかけつけただの、小泉後継レースの番外戦だなどとたきつけたが、真実は選挙の怖さを痛感する仲間達が総力戦をくり広げただけのことである。もちろん祐喜氏も、毎朝5時に起床してご先祖様のお墓掃除を続けながらドブ板に徹したのであるが、いかんせん敵は3年間みっちり活動しているが故に劣勢は否めなかったのである。

 ましてや前総理の息子が立候補とは言え、加賀平野どまん中の能美郡市は、人情の町。3年前から歩き回っている民主党系候補に同情があつまり、父親や大物弁士にばかり関心が行ってしまうのも必定。候補者本人の祐喜氏その人に対して注目が当り辛い選挙になってしまったのも事実。
 そんな中でむかえた投票日。折からの雪に、投票の出足も鈍く、ますます新人のデビュー戦としては厳しい戦況。

 夜9時過ぎに開票は始まったのであるが、一進一退のマッチレースでなかなか結果が判明しない。10時になっても、11時になってもギリギリの差。とうとう開票100%となり、残票整理の段階にまで勝負は持ち越された。
 選挙事務所は水を打ったように静まり、折からの春の雪も北風に舞って頬を打ちつける。極限の中で発表されたのが冒頭の票差。

 祐喜氏本人は、厳しかった選挙と票差をかみしめるように「一票の重さを知りました」と感謝の頭を垂れた。来年に本選を控えておりまさしく絶妙の票差だった。森前総理は、安堵の思いも込めて「皆さんに助けていただきました」と吐露。なるほど、すさまじきは勝利への執念。執念あらばこそ、政治活動へのエネルギーとなるのである、ということを森家のDNAとして教えていただいた気分だった。(了) 


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