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永田町通信 66
 

『一触即発!』

 石川県の県都は金沢市。
 金沢市の中心市街地整備をめぐって、一触即発。不穏な空気が流れている。
 対立しているのは、県選出国会議員と、谷本正憲石川県知事。

 森喜朗(前総理大臣)や馳浩(文部科学副大臣)は、
 「セントラルパークとして、緑地化すべし。いったいいつまでに整備を終えるつもりなのか、全体計画を県民に示すべき。」 と主張してゆずらない。

 谷本知事とすれば、いくら国会議員とはいえ口をはさまれたくない様子。この場所はもともと旧県庁舎のあった跡地。県の持ち物。ゆえに、審議会や県議会の議論というプロセスをふまえた上で、より良い整備方針を打ち出したいところ。しかし、その慎重な姿勢にイラ立ちを隠せないのも国会議員側の本音。両者激突の最初の舞台は、05年8月の県政懇談会。口火を切ったのは馳浩。

 「旧県庁跡地の隣接地は、兼六園や金沢城公園や中央公園。市の中心部にこれだけの緑地空間を備えている都市は全国でも珍しい。ぜひとも、一体的なセントラルパークとして整備計画を県民に示すべき!」 と訴えた。追い討ちをかけるように森喜朗が口角泡を飛ばす。
 「欧州の歴史的文化都市は、景観を大切にする。街の中心部に広大な緑地空間を整備し、そのセントラルパークが街の品格を高め、ひいては市民の憩いの場ともなっている。そもそも県庁が移転したというのに数年たっても全体計画の跡地整備案を示せないこと自体、おかしい。」 と、怒り心頭。

 これに対して谷本知事は、
 「審議会のご意見では、旧県庁舎正面と堂型のしいの木とは、一対の景観として評価されています。登録文化財として残し、利活用したいと思います。」 と、言い終わらないうちに私は言い返した。
 「そりゃおかしい。登録文化財には反対です。あの程度の建造物は全国にいくつもありますから、金をかけて改築して残すことには反対です。それに、どういう利活用策があるというのですか。その案も示さずに、なし崩し的に登録文化財として残すべく文化庁に申請するというのはおかしい。県議会に了解を得た結論なんですか?(わしらは聞いていないゾ!と、同席した県議の重鎮。)全体整備計画を示し、その中で旧県庁舎の取り扱いについても議会の合意を得るべきです。」 あまりにも不穏な空気になってきたので森喜朗がこう引き取った。

 「私たち国会議員は、セントラルパーク構想です。もう時間はありませんから、あそこに旧県庁舎を残すか、残さずに広大な緑地空間にするか、いずれにせよ、今後相談しながら進めて下さい!」 と仕切ったのである。

  それから4ヶ月が経った。くすぶり続けて05年末の12月。来年度予算編成のための県懇談会で、再度この問題がむし返された。というのも、あれほど「今後は建物を残す残さないも含めて相談しながら整備計画を進めましょう!」 と約束していたにもかかわらず、当の谷本知事から一言の相談もないのである。相談もなく、整備事業も進んでいないのかと思いきやさにあらず。何と、水面下で着々と登録文化財としての利活用策の計画が進められていることが直前に発覚したのだ。

 激怒する森喜朗、馳浩。「バカにするのもいい加減にしろ。」 「相談しながら進めると言ったじゃないか。」 「どうして勝手にやるんだ。」 「だったら今後一切、県政課題で相談しなけりゃいいじゃないか。」 「北陸新幹線の金沢開業や、金沢港の13メートル岸壁整備や、小松空港国際化など、自分の都合の良い時だけ国会議員を利用し、都合が悪くなると知らんぷりで勝手にやらせていただきます。事後報告では、信用できない。」 などなど。12月の県政懇談会は今まで以上に険悪な空気となってしまった。 

 所用のために先に退席する森喜朗は、
 「この問題だけはゆずれない。県都金沢市の中心市街地の再整備だからな。後世に禍根を残すような事は許されない!」 と一歩も引かない。片や谷本知事は「審議会が…」「後は部長が何とかしろ…」 とまるで当事者意識なし。他人事のような対応。しかし、国会議員と県知事が、政策懇談会が行なわれるたびに平行線では、不信感ばかりが募り、県民のためにならない。

 「それじゃこうしましょう。森、馳、岡田直樹、北村茂男、沓掛哲男の県選出国会議員と、谷本知事と、この県庁跡地整備問題だけで意見交換会しましょう。知事の本音をうかがい、いったい県都金沢の中心市街地をどのように整備しようとしているかの哲学をうかがいましょう。その上で、お互いにどうやって前に進めて行くかの知恵を出し合いましょう。」 と、自民党県連会長でもある私が音頭を取って。12月下旬に東京で直接対決をすることになった。

 その続きは…次回。(了)


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