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永田町通信 42
 

『奥克彦さんよ、永遠に』

 復興途上のイラクの大地に、日本国の若き二名の外交官の命が散った。
 奥克彦さんと井ノ上正盛さんの殉職に、心からの哀悼の意をささげたい。 

 奥さんとは、国会議員ラグビーチームのメンバー同士というご縁をいただいて以来、折にふれて親交を暖めさせてもらった。最初のイギリス国会議員チームとの試合が秩父宮ラグビー場で行われたとき。奥さんの印象は、どこかの大学チームの監督のようだった。それほどリーダーシップにあふれ、声も大きく出て、仲間を鼓舞しながら戦略を指示していた。

 国会議員の中の経験者では、森前総理をはじめ玉沢元農相、町村元文相、中川元官房長官などのそうそうたるメンバーも、学生時代に返ったかのように奥さんの指示に従って老体(?)にムチ打って走り回っていた。
 この私は初心者ということもあり、体力にまかせての参加なのであったが、的確な指示をいただいたおかげで、イギリスチームのディフェンス陣中央突破を果たし、生涯忘れられないトライを決めさせてもらった。

 奥さんは後方から私をサポートするように走り込んで来て下さって、
 「ハセさん、素晴らしい突破力ですよ! もういっちょ決めましょう!」 とさらに私をふるい立たせる気合いの一声を大声でかけて下さった。(もういっちょ、決めましょう!) との前向きな表現こそが、今思えば45才で凶弾に倒れた奥さんの生きざまだったのかな、と生前の姿が思い起こされて仕方ない。

 時が経つにつれて、今回の事件のあらましが見えてきた。周到な計画の元での、狙い打ちのテロであったということだ。米英の連合暫定統治機構と日本とのパイプ役であった奥さんと井ノ上さんのポジショニングは現地において極めて高位にあり、奥さん自身も狙われる立場にあることを自覚していたそうだ。

 そんな危険な立場をわかっていながら、何故に二人は無防備にティクリットという危険地帯に出かけていってしまったのかとの悔いは残る。おそらくは、オールフォアワン、ワンフォアオールのラグビーにおける犠牲の精神が奥さんの行動原理の根底にあったのではないか、と思われるのである。

 そして亡くなった二人のイラクにおける活動は、外務省のホームページに71回にわたって連載された「イラク便り」によって詳細にうかがい知ることができる。
 読めば読むほど、日本国が、日本人がイラクの国民に対して何を貢献することができるのだろうかと考えた奥さんの真実を見る。
 テロに支配されつつあるイラク国内に、どうすれば日本の顔の見える支援ができるのかを考えていた証拠である。
 日本の国益とは何か。
 イラク国民が今求めているモノは何か。
 国際社会の中でのイラクと日本の立場。
 テロとの闘いの意味。

 そういった複雑に絡まり合った課題を、まるで方程式を解くがごとく、そして血の通ったイラク国民との日常の交流を通じて日本とのパイプ役になっていたのが二人の外交官の役割だったのである。

 小切手を切り、経済支援だけで事足りる湾岸戦争における当時の日本政府の外交方針が、どれだけ世界の国々から軽く扱われたかを奥さんは肌身で知り抜いていた。しかし、その反省が今回、奥さんを先走りさせすぎたのではないか。現場の外交官の生の声が日本に届いていなかったのではないか。政治家は彼らに耳を傾ける姿勢が甘かったのではないか、と悔やまれてならない。

 二人の外交官の葬儀後、12月9日には自衛隊派遣の基本計画が閣議決定され、小泉総理の国民に対する説明がなされた。
 まさしく日本国の意思表明であり、その決断の礎となった奥さんと井ノ上さんの貢献のたまものである。国家としての意思を行動に移し、イラク国民のためにできる限りの貢献をすべき時なのである。

 イギリスのラグビー校での試合後、ギネスビールをあおりながら奥さんは熱っぽくラグビーを語っていた。
 「その時できる最高のエネルギーを、その場で爆発させるのがラグビーの楽しさですよ。だからこそ、ノーサイドの精神が生まれるんですよ。」 

 国際平和のノーサイドを目指して、奥さんの遺志が日本国民全員に理解されねばならない。
 奥さんと、井ノ上さんに、合掌。 


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