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永田町通信 41
 

『臥薪嘗胆』

 こんなに悔しいことは、ない。
 負けたのだ、小選挙区で。
 反省の日々であり、自問自答の日々。
 ここにその反省文を記すことで、前進に向けての道しるべとしたい。

 小泉改革の方針が、国民に支持されないはずがない、との慢心があった。
 構造改革なくして景気回復はない、痛みに耐えてガンバロウ、とのスローガンが上滑りしていることに気付くのが遅かった。
 解散のあと、選挙区にべったりと貼りついてあいさつまわりを続けていて、その空気の重さに気がつくまでに時間はかからなかった。
 中央マスコミは、内閣支持率の高さや、自民党安定多数の状況分析をしてみせたが、市井の声は決してそうではなかった。
 世論調査に見せない本音の部分が内包されていたのである。その空気の重さこそが、有権者の本音であったのだ。

いわく、
・子育てに金がかかる。
・なかなか新卒の働き口がない。
・パートのクビを切られた。
・夏のボーナス出なかった。
・近所のおじさん夜逃げした。
・医療費高くて病院行けない。

・小泉ばかりオペラ観やがって。
・家のローンが払えない。
・安売り競争に負けて酒屋やめた。
・授業料が払えなくて大学やめた。
・追い担保追い金利上乗せされて、継続融資のハードル高い。

・郵政民営化で景気が良くなるんか?
・固定資産税払えない。
・事業承継できない。相続税贈与税高すぎる。
・政治家もリストラしろ。
・いつになったら北陸新幹線できるんか?

・下請けイジメるな。
・長生きしても楽しくない。
・将来年金もらえるんか。
などなど。枚挙にいとまのないくらい、不平不満のオンパレード。あんなに小泉登場に期待したのにあれから2年半。いったいどこがどう良くなったのかの口撃のアラシ。

 もちろん、そんな状況においても馳浩命の支持者は血のにじむような応援をして下さった。前回以上の支持者カード集めに始まり、演説会の開催や電話作戦や友人知人近所の方へのお声がけ。その熱が上昇すればするほど、まるで自分が国会議員に立候補する当事者としての真剣な応援。それは馳浩のためでも自民党のためでもなく、日本の国を支える一員としての誇りある闘いに向けての献身となっていった。  

 そして投票日。朝からの豪雨は、私にとって深夜には涙雨となった。
 九七〇七五    九九八六八。  わずか二八〇〇票の差。
 しかし、大きな大きな、二八〇〇差の敗北。小選挙区制とは、一票であろうが負け、は負け。惜敗率で比例で当選という助け船はあるものの、やっぱり負けは負け。

 自分が負けたこと以上に、共に闘った仲間たちに悔し涙を流させてしまったことの申し訳なさが先に立つ。愛する妻は、テレビカメラの前で土下座して、「申し訳ありません、私の責任です。」とあやまった。
 化粧はボロボロになって土下座して頭を床にこすりつけている妻を見て、家族にまでこんな犠牲を強いている自分に情けなくなった。

 これが選挙の真実であり、政治の厳しさなんだ。この修羅場こそが一票の重みなんだ。 そう思えて来て、新たに闘争心がわいた。 こんな状況下においても、勝ち抜いている候補者は、いるのだから。 投票率がどうあろうが、マスコミの論調がどうあろうが、世論の風がどちらに吹いていようが、それでも勝つ人間は勝つのだ。

 自分が負けたのは、自分が弱いからだ。
 自分が甘いからだ。
 選挙の時だけいくらがんばったってダメなんだ。常日頃からの心がけが劣っているから負けたんだ。負けるべくして負けたんだ。

 そう自分に言い聞かせて、現実大肯定することによって、さらなる前進に向けての闘争心がわきあがってきた。
 自分に負けては勝負にならない。 そういうことだ。 楽をしたい、甘えたい、そういう自分に一瞬でも身を委ねたら、必ず負けるということだ。国益を守るという大義に向けて、正々堂々と闘い続けることこそ、国政を目指す人間の原点なのだから。

 次なる闘いに向けて、永遠の闘いに向けて、臥薪嘗胆の日々である。
 「ほとばしる 敗者復活 次こそは」 


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