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永田町通信 40
 

『誰がための肩書き』

 10月10日。衆議院が解散となった。

 私は、前回参議院議員からくら替え出馬をしたため、本会議場で迎える始めての解散である。

 綿貫議長が、憲法第七条3項に基ずき「衆議院を解散する」 と天皇陛下の詔書を起立してうやうやしく読みあげたとたん、全国会議員が立ち上がってバンザイを三唱した。
 また、この議場に帰って来られますように、とお互いの戦闘意欲を鼓舞し合うための、明治以来の伝統だそうである。

 そうは言いながらも、42年間の私の人生において最も切ないバンザイであり(明日から無職か…)と現実の刃を突き付けられる瞬間でもあった。やけに感傷的になり、本会議場を最後に退出する際、今期限りで勇退される野中広務先生から
 「これからは君たち若い者が日本国に責任を持つんだ。ガンバレ。」  と激励されて思わず目頭が熱くなった。

 しかしそんな感慨に浸る間も一瞬でしかなく、議事堂外に出て秋空をながめているとこんな俳句が浮かんできた。 

 

赤トンボ どこへ行くやら 永田町

 

 つまり、あてどもなく秋風に身を任せる赤トンボと、無職になって肩書きの無くなった自身の姿が、妙にオーバーラップしてしまったわけだ。わけても大の40代の無職だなんて、そりゃわびしいもんだよなあ、と落ち込んだわけだ。

 そのまんま政務官をつとめる文部科学省に行き、日程の打ち合わせと臨時省議を開いて壮行会を催していただき、羽田空港からふるさと石川県の小松空港に降り立った。もう、胸に国会議員の赤バッヂはない。そうしたら、また一句浮かんできた。 

 

秋風や 帰るあて無き 大男

 

 その、まんまだ。4年任期と、解散という宿命と背中合わせにいるとは常日頃からわかっていたとはいえ、いざ直面するとなると、なんとも複雑な心境だ。そうは言うものの、生来の陽気な性格のせいか、翌日には前日の孤独感なんてすっかりどこかの空に飛んで行き、闘志ムキ出しに活動しているのだが。

 そんなある日、金沢大学法学部経済学部文学部同窓会50周年記念式典に招待されて出席した。

 どうも、来年から国立大学が独立行政法人化となり、金沢大学も変革を余儀なくされるのを目前に控え、同窓会のよりいっそうのバックアップをいただこう、同窓会としても50周年を機に結束して伝統を守ろう、との意味合いがあったようだ。

 私は来賓として、次のように紹介された。
 「前(ぜん)衆議院議員、文部科学大臣政務官。」

 ちなみに、となりの森喜朗さんは、「前(ぜん)内閣総理大臣。」と紹介された。

 前(ぜん)、かあああ……とまたしても感慨に浸っていると、出席していた同窓生の胸の名前プレートが目に入った。そこには、2回生○○、5回生△△、23回生□□、と書いてあった。
顔を見れば、大企業の社長であったり、県庁の大幹部であったり、弁護士であったり、そうそうたる会社のリーダーたち。

 どなたも、金沢市、いや石川県、いや日本のリーダーと呼んでもおかしくはない方々。

 誰がどう見ても「おお!!」とうなってしまうような立場にあるにもかかわらず、どの顔にも金沢大学のキャンパスで青春時代を過ごしたという、プライドと愛着に満ちあふれていたのである。そこには、何回生、という先輩後輩のタテの関係に身をゆだねる心地よさが漂っていた。

 そして、肩書きにこだわり、肩書きに心をゆられる世俗のちりはみじんも感じられなかったのである。嬉々として、上級生に頭を下げ、後輩の肩を抱く同窓生の集まりの中にいて、私は人生の宝物とはここにこそあるんだよなあ、と肩書きのわずらわしから解放された。

 肩書きのない世界を持つことの意味。

 肩書きを失うことによって得る、地位や立場の責任の重さ。

 肩書きを目指すことの重圧。

 肩書きの本来持つ社会的役割。

 肩書きの陰にひそんでいるジェラシーという名のエネルギー。

 たかが肩書き。

 されど肩書き。

 誰がための肩書き。

 いったい私にとって、どんな肩書きが一番ふさわしいのか。答えはもうすぐ、出る。


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