Apple Town


永田町通信 39
 

『総裁選エピソード』

 9月17日。自民党本部において総裁選の公開討論会が開かれた。

 主催は青年局。後援は女性局。

 これは当初から予定されていた企画ではなく、公示日の8日以後に青年局からの申し入れで急拠実現した。

 そのウラには何があったのか?!

 実は、青年局の有志数名が「若手からも候補者を出そう。小泉VS抵抗勢力の図式でのみ争っては、ドロドロの権力抗争になってしまう。若手から立候補することによって、内外に自民党の清新な人材をアピールすることもできる!!」との主張で、推薦人の20名を集めていたのである。

 私のもとにも、告示前日の7日午後に、仲の良い河野太郎代議士からこんなお願いが入った。

「馳さん、頼むよ、推薦人になってくれよ。今19人なんだ。あと2人の署名が必要なんだ。とにかく若手から声をあげたいんだ!!」

 私はこう答えた。

「気持ちはわかった。それで、誰が出馬するの?」

「……それが。21名の仲間が集まったら、その時点で多数決の投票で一人にしぼるつもりだ。自薦、他薦で何人かいる中から、わかりやすく投票で決着することにした。」

「そっかぁ……。じゃ、おれは無理だな、推薦人にはなれないわ!」

「そこをなんとか、名前だけでも貸してよー。」

「いや、名前を貸す以上は、推薦人として表に出るわけだから、責任があるよ。誰かまだわからないのに、名前だけ出すというのは有権者に説明がつかないよ!!」

「そうか……残念。じゃ、また。」

 そう落胆して河野さんはあきらめた。

 結局、候補者本人を含む推薦人21人にはあと2人足りなくて、断念することになった。日頃は世代交替を訴えている私としても協力したい気はヤマヤマだったが、名前だけ貸す、なんてことはできなかった。

 そこで、19名の若手同士たちが考えたのは、「我々で候補を出せない以上は、4名の中から誰かを選ばざるを得ない。ならば、派閥の圧力や先輩の取り込みに巻き込まれるのではなく、自主的に選ぶことのできる場所作りをしよう。それには公開討論会を企画して4名に来てもらい、質疑応答を見聞しながら、19名が独自に判断できるようにしよう!」

 ということだ。これが総裁選管理委員会に公式に認められることになったわけだ。

 日頃身近にいても、4名に対してストレートに質問をぶつけることなんてチャンスは、若手にはめったにない。

 そこで、当日は我も我もと二百名近い国会議員や地方の青年局女性局党員が党本部901号室につめかけて、候補者の一人ずつに対して思いの丈をぶつけることになった。

 そんな中で、小泉さんがこんな演説を問わず語りにした。

 「青年局のみんな、政治家になった原点に立ち返ってくれ。選挙を闘った第一回目のことを忘れないでくれ。新人は、公認をもらうための選考や、ある人は現職に対して無所属で挑んだはずだ。その時、皆さんを支えてくれた仲間は誰だったんだ。決して、自民党の大組織が丸がかえだったはずではないだろう。一生懸命支えてくれたのは、友人であり、町内会の人であり、親族であり、一般有権者だったはずだ。そういう人達の期待があって初当選し、今日があるんじゃないか。ところが、当選を重ねるに従って、業界団体の親分や、自民党の県議市町村議のところにばっかり足を運んで耳を傾けているんじゃないか。皆さんを支えた原点である無党派層の声から遠ざかって、耳ざわりの良い陳情団や自民党の仲間とばっかりつき合ってるんじゃないか。それで良いのか? 自民党は国民政党であるべきだ。一般有権者の大多数は自民党員じゃない。今こそ改革のために原点に立ち返り、外からの声に耳をかたむけるべきだ。ひいては、それが自民党を、そして皆さんを育てていくことになる。」

 誰も異論をはさめることができず、一瞬、シーンと静まり返った中から大きな拍手がわき起こった。

 「理解を得られない方とも議論し、納得し、味方になってもらえるように努力するのが政治家のあり方だ!」

 とも小泉さんはおっしゃった。

 4名のどの候補に入れるか迷っていた若手議員たちも、この演説にいたく感銘を受けていたようである。

 他人の悪口を言わず、足を引っ張らず、己の信じた道を堂々と主張する―政治家のあり方を再認識させてくれた公開討論会であった。     


戻る