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永田町通信 33
 

『イラク開戦への違和感』

 この原稿は、3月20日の午前11時に書いている。米国によるイラクへの最後通告が期限切れとなったのが午前10時。

 私の常駐している衆議院自民党国会対策委員会室は、衛星放送によるバグダッド市内のテレビ映像をにらみながら、「いつ」武力攻撃が開始されるかを、胸のつぶれる思いで待っている。

 もちろん誰も心待ちにしているわけではない。始まってしまったら、国会としての対応をしなければならないので、その日程調整に追われているわけだ。

 ここで、開戦時の国会対応を記しておこう。

 開戦30分前に、米国から官邸に連絡が入る。そして、攻撃が開始されて間を置かずに小泉総理の記者会見。また国会内のすべての委員会は休憩となり、同時に安全保障会議が開かれる。

 続いて閣議。

 そして衆参両院における総理報告があり、それに対して各党代表による質疑応答。

 時間的に見積もって、開戦からおよそ10時間以内にこれだけの作業が行なわれる。

 国会対策副委員長の私としては、テレビを見つめながら、官邸からの連絡を待ちながら、不測の事態に備えるべく、万全の連絡体制を整えてこの部屋の中に缶詰めとなっているわけである。いつもは何とも感じない電話の呼び出し音にもビクッと反応したり、出入りする官僚の姿に情報を求めたり求められたりと、一瞬たりとも気の抜けない、張り詰めた空間となっている。もちろん、全国会議員は禁足。連絡が入れば10分以内に本会議場に入れる場所に待機していなければならない。

 テレビ画面は刻々とバグダッドやワシントンや国連会議や小泉総理の映像を伝えている。

 「ついに時間切れ」「開戦はいつ」と、半ばあおるようなニュースキャスターの大声に違和感を覚えながら、やはり大きな違和感を禁じざるを得ない。

 まず、フセイン大統領に対して。

 湾岸戦争終結後、度重なる機会があったにもかかわらず、どうして国連の査察に全面的に協力してこなかったのか。

 とりわけ昨年末の国連決議1441は、国際社会が一致して大量破壊兵器の破棄を求めた査察決議。この決議に即時全面的に応じていれば、こんな事態には至らなかったのだから。フセイン大統領に何の大義があってこうも挑発的な態度に出てしまえるのか。イラク国民の安全と平和をどう考えているのか。

 次にブッシュ大統領に対して。

 国連は世界平和の安全弁だったはず。

 まだ、査察継続を求める国があったにもかかわらず、何故にこの時点において外交努力を打ち切ってしまったのか。その決断を、いかなる国際法、国連憲章の条文において正当化しようとするのか。

 そしてフランスのシラク大統領。査察を打ち切るいかなる国連決議にも反対する、拒否権を行使する、という最後の外交カードを切るのは時期尚早だったのではないか。どうして米英との妥協点をさぐる努力を継続しなかったのか。

 そして小泉総理。

 国際協調と日米同盟。この方針を堅持すると言うだけでは、国民に対して説明不足ではなかったか。国連中心主義での世界平和への道を国民も望んでいるだけに、武力行使前の最後通告の段階で「支持」を言明したことには、心にしこりが残る。

 また、総理に最後の決断を下してもらうためにも、もう少し露払い役が外交の選択肢を示すべきではなかったか。総理は仮定の話には答えるわけにはいかないのだから、外務大臣や与党首脳が、「こうしたらこうすべき」「こんな方法がある」などの日本としての方針や考え方を提示しておくべきではなかったか。

 二週間ほど前に小泉総理と食事の席でそう進言したが、総理は「私の口からは仮定の話はしてはいけない。事態の推移を見守りながら日本政府としての考えをその時点において説明する。私の態度ははっきりしている」ときっぱりと言われた。だからこそ、総理を支える立場、役職の人による国民に向けてのメッセージが欲しかった。 

 と、ここまで書いた午前11時40分に、米国の攻撃が開始された。

 「先制攻撃によって脅威を除去する」という前例が、世界史にまたひとつ加えられた。

 後世の歴史家がこのイラク攻撃をどう論評するであろう。

 釈然としない中でのやむを得ない選択であろうが、市民の被害を最小限におさえてほしい。

 事ここに至っては、この戦争が速やかに終結し、イラク国民に平和が訪れるように願い続けるしか、ない。 


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