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永田町通信 20
 

『泣いて馬謖を斬る!!』

 森派朝食会の席上、森喜朗前総理がこう切り出した。

 「昨日の予算委員会での参考人質疑を拝見していて、ふと、こんな言葉が思い浮かびました。『虎は死して皮を留め』、『恩を仇(あだ)で返す』、『恩讐を超えて』、『立つ鳥跡を濁さず』、『泣いて馬謖を斬る』、以上。」

 いつもならば、解説や身ぶり手振り付きでここから大いに演説がはじまるところなのだが、なぜかこれであいさつは終わり。

 なんだ、物足りないな、と思って聞いていた国会議員は一人もおらず、全員深くうなずきながら瞑想にふける。その瞑想の中味ををここに解説してみたい。

 『虎は死して皮を留めってどんな意味ですかね?』と某代議士に尋ねると、
 『虎は死んでも大勢の人に役立つ高価な皮を残してくれる、という意味でしょ!?』
 『じゃあ、森さんのいう虎とは誰のことですか?』
 『・・・・・ハセくんは難しいことを聞くねェ。もし、鈴木宗男さんとすれば、議院運営委員長を辞めたけれども、田中真紀子さんと同士討ちになったという功績が、日本の外交回復に役立ったということにつながるんだろうなぁ。

 もし、真紀子さんだろうとすれば、外相を更迭されたけれども、外務省と鈴木宗男さんとの不適切な関係を暴き、外務省改革を国民に知らしめたという意味で役に立ったんじゃないか!?』と、こんな会話をかわしていたら、となりにいた別の代議士は

 『案外、森さんは自分自身のことを、虎は死して皮を留め、と言いたかったんじゃないの?』などとまぜっかえす。

  これには一同、沈黙、苦笑い。

 では『泣いて馬謖を斬る』とはどんな意味だろうか? 国語辞典を開くとこうある。
 『馬謖とは三国時代の蜀の武将の名。諸葛孔明が、自分の命にそむいて失敗した武将、馬謖を、日頃の信頼と寵愛にかかわらず、見せしめのために衆前で斬ったことから、組織の秩序を乱した者に対して、地位のいかんにかかわらず、厳罰の処することのたとえ』と。

 そうなると、小泉首相は田中さんに対する信頼にかかわらず組織(外務省・国会)の秩序を乱したがために、衆前で斬った(更迭した)ことになる。ここでいう組織の秩序は何か!! 外務省事務方トップである野上次官と答弁の調整ができなかったこと、ひいては国会答弁が混乱して補正予算案審議に影響を与えたことになる。

 言った言わない論はささいな事かもしれないが、政策遂行にあたって大臣と次官の言っていることに整合性がない、故に外務省は信頼できない、との指摘につながるとすれば、これは国益を守るために、やむを得ない措置。

 ちなみに、同じ『泣いて馬謖を斬る』という言葉が、自民党内でもまことしやかにささやかれている。

 鈴木宗男さんに何らかの処分をすべし、との意見だ。それは、北方四島にかかわる支援事業の受注に関与したのかどうか、の疑惑に基ずく。これは、NGO出席拒否問題とは別問題であり、こんな関与が事実であるとすれば、それこそ同じ自民党の仲間であろうとも『斬る』べし、という意見だ。当然だろう。

 さて、『恩を仇(あだ)で返す』とは、悪意を持っての仕返し、という意味だ。これは、田中さんが「総理こそ抵抗勢力」「スカートを踏んで自由に出来ないようにしているのは総理自身」「総理のとりまきが悪い」と言う発言によることは言うまでもない。

 「未熟な私を重職である外相にしていただいて感謝している」とまで言っておきながら、 舌の根も乾かないうちに舌鋒鋭く切って捨てるのであるから、何をか言わんや。

 『恩讐を超えて』とは、人に対する忘れられない恨みを超えた向こうに、という意味だが、これは田中角栄と福田赳夫の「角福戦争」をお互いの娘(真紀子)と息子(康夫官房長官)の現在の確執になぞらえたものか。

 真紀子さんは「官邸にはもう一人の外相がいる」とまで皮肉ったが、これは福田官房長官に対するあてつけ以外の何ものでもなかろう。

 そして『立つ鳥跡を濁さず』とは言うまでもない。外相を更迭された腹いせをあからさまに言い立てるのは見苦しいものだ、との指摘であろう。などなど解説してきて、改めてこう思う。あまりにも次元の低い論争である、と。今、日本経済は未曾有の落ち込み、デフレ傾向。ここからいかに立ち直るか、の論争こそ、予算委員会に求められている国民の期待なのではないか!!


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