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永田町通信 5
 

『国政運営の重み』

      前月号からの続き

 加藤紘一さんの「ネット政局」もあまりに軽かった。マスコミや、自身が運営するホームページ上で一方的に不信任案賛成の論陣を張ったことがそもそも軽い。目に見えない声なき声(サイレントマジョリティ)に耳を傾け、その声を掘り起こそうとする試みには一定の評価をするが、それは仮想現実(バーチャル)な世界。政治は人と人のぬくもりあるつながりなのだから、バーチャル世界から抜け出して素手で殴り合う度胸と戦略が必要不可欠。もし私が加藤さんの参謀だったならば、次の作戦を実行しただろう。

(1)野中幹事長、亀井政調会長、青木参院幹事長を口説き落とすこと。

(2)加藤派をまとめること。

(3)石原新党構想。

 だ。つまり、森政権包囲網を作り上げることと、除名待ち→新党結成作戦の二面を用意した上で、時期を見て決起クーデターを一瞬の早業で成しとげるというわけだ。加藤さんの失敗は、戦略ミスに尽きることと、自分の言葉や顔の見えないメール激励に酔ってしまったことにある。国政を担おうとするリーダーとしてはお粗末きわまりなく、これで加藤政権は未来永劫あり得ない。

 ただ、そのことと森政権延命は別問題。このまま何の手柄もなく、失言、軽口、スキャンダル、支持率一ケタで追われるように政権を下りては、政治家森喜朗もジ・エンド。

 12月の内閣改造で重厚な布陣を敷き、骨太な政策を断行する方向性を打ち出すことだ。野党を政策で分断するためにも、次のような具体的な国家政策は考える価値がある。
(1)防衛省への昇格。

(2)集団的自衛権行使を認めること。

(3)有事法制の整備。

(4)NTTの完全民営化。

(5)土地流動化税制の断行。

(6)相続税・贈与税の軽減。

(7)弁護士事務所の法人化。

 などなど、つまり、少々右よりではあるが強い日本、競争に耐える日本、セーフティネットを備えた日本を作るための土台整備に真正面から取り組み、国民に信を問うほどの激論を巻き起こすことである。

 さて、前回約束していた、文教委員会での質問を11月10日に行なったので報告しておきたい。日本の公教育を充実させるためのポイントとなる質問であったと思う。

 質問のテーマは二つ。まず、教科書検定に外務省の関与はありや、なしや。二つめは、北海道教委と道教組との「46協定」破棄問題。

 いずれも、個別の事件が発端ではあったものの、事の本質は義務教育現場における問題。

 文部省には、教科書を検定する権限がある。文部大臣が選んだ委員が、教科書用図書検定調査審議会において1ページずつ審議をして意見を述べることができる。あろうことか、元外務省出身の野田英二郎委員が審議会の前に他の九人の歴史科担当の審議委員に、特定教科書について反対するような討議資料を渡していたのである。いわゆる不合格工作だ。

 私は事実関係をただし、外務省の組織的な関与を追求し、文部大臣の見解を求めた。文部省は工作の事実を認め、野田氏を他の分科会に移動させたことを報告した。大島大臣は、「教科書検定の重要性を改めて認識し、今後とも公平、公正に審議会運営がなされるように努力する。」と約束した。

 また、外務省は、今後とも「近隣諸国条項」を盾にして教科書検定には関与しないし、今回も野田氏には指示していない、と明言した。あたりまえだ。日本の教科書を他国の口出しによって書き直させたりすることは絶対させてはならないことだ。

 また、昭和46年に北教委と北教組が結んだ46協定の「勤務条件にかかわるものはすべて交渉事項とする」という項目は、明らかに地方公務局法第55条違反であり、法令に反するので、破棄するように道教育長を指導し、現地調査を行う、との大島大臣の答弁を引き出した。これもまた、あたりまえのこと。組合のイデオロギー的な活動で、教育現場がゆがめられてしまうことは、絶対にあってはならないのである。

 私は思う。国政の重みとは何なのかを。

 加藤紘一さんも、バーチャルの世界に浸らずに、現場で修羅場を体験すべき。そして公教育こそ、日本の将来のいしずえであり、政治の力で正常化させねばならない、と。


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