“自分のことばで”が議会の原点

<8月2日デイリースポーツ掲載>


 子ども国会の本会議を傍聴してきた。議員のやじ、怒号と居眠りがないことを除けば通常の本会議と何ら変わらないほどの熱気であった。今年は参議院開設50周年。その記念行事のひとつとして催されたのであるが、こんなに子どもたちの関心を集めるのであれば毎年開催してもいいように思われた。

 私は二階の傍聴席に腰かけて、日ごろ自分が座っている議場を見下ろしていろいろと考えた。ここはまぎれもなく国権の最高決定機関であるのだなぁ、ということ。地方区の代表者、比例区の代表者ともに法律を作り、審議し、予算を成立させているのがここなんだなぁ、と。子どもたちはTシャツ姿もいるし制服姿もいた。こうして普段着で政治を語るのも新鮮なことだなぁと感心した。どうしても我々議員のユニホームといえば背広に金バッジ。第三者的に見ると偉そうに見えてしまうのは仕方ない。周囲の人間はバッジを見て丁寧に対応しているのであって、議員本人を尊敬してVIP扱いをしているのではないのだから、そこんところ勘違いしちゃいかんよな!とも考えさせられた。

 子どもたちは言いたいことを自分のことばで語っていた。壇上での意見発表の時、原稿を忘れてきて「あっ、ちょっと待っててね」と言って平気で会議を一時中断させた子どももいた。国会とは体面や見えでとりつくろう特別な場所という緊張感はそこにはなく、普段着で身近な生活の問題を、自分のことばであたりまえに話し合う場なんだよと、私たちに教えてくれ ているような気がした。

 橋本総理大臣が最後に壇上に立ち、演説をした。用意された原稿を読みあげている時、子どもたちはたいくつそうにひじをついたり背もたれに寄っかかって行儀悪くしていたりした。ところが原稿を置いて総理自身の子どものころのエピソードや障害者や弱者に対する思いやりの話をはじめると、全員身を乗り出してまんじりともせず聞き入っていた。橋本総理を一人の人生の大先輩として尊敬しているようなまなざしであった。その光景を見ていると、総理も所信表明演説の時には原稿を読まないで議員に語りかける時間を持って自分のことばで演説すればいいのにな、と思った。

 子ども国会は、議長の「子どもだってまじめに考えています。私たちの声を聞いてくれる場をこれからも用意してくださるようお願いします」とのあいさつですべての議事を終了した。まさしく、この一言にすべてが集約されるのであろう。意見をもつこと、他人に語ること。それを聞いてあげること。議会活動の原点を重い知らされたような気がする。

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