いじめられっ子よ

立ち向かえ


(平成7年12月4日掲載)



 
 国会は創価学会の池田大作名誉会長の参考人招致問題で大揺れだった。まさに乱闘寸前。招致反対の新進党議員が参院宗教法人特別委員会の佐々木満委員長(当時)を取り囲み、私が委員長を抱きかかえ議場の外に連れだした姿が報道された。

 この問題は来週書くとして、国会がドタバタしている最中に悲しい事件が起った。新潟・上越市の中学1年生伊藤準君がいじめを苦に自殺した。この問題こそ国会で真剣に議論されるべきだった。いじめの責任は私に、そしてあなたにあるんだという意識をもってほしい。教員、同級生、親、いじめた者、ひとりひとりが無関心で問題を避けていたのではないか。準君がトイレで泣いていたことを報告した生徒に、教師は「黙っていなさい」 といったという。何ともやり切れない気持ちになったね。

 石川・星稜高校での教師経験からいうと、いじめられている生徒というのは必ずシグナルを出しているもの。教師はアンテナを張り巡らして、そのシグナルをキャッチしてやらねばいけない。今回は分かっていながら、教師が問題を避けようとしていた。情けない。

 教師というのは生徒の目を見れば気持ちが分かる。私もそうだった。いつも同じ表情をしている人間なんていない。暗く、落ち込んでいる生徒が必ずいる。そういう時は自分から話しかけるようにしていた。

 いじめが発覚したら、いじめた人間といじめられた人間を集め、車座になって何度も何度も話し合った。顔の見える付き合い、話し合いの場を持ち、1つの問題を掘り下げて考える姿勢が見えれば生徒が変わる。生徒ひとりひとりに対するこまやかな心遣いがいじめをなくすのだと思う。

 心遣いで大切なのは、学校でも家庭でも必ずほめることだ。絶対、小言や注意をしてはだめ。まして殴るなんてとんでもない。ほめられてイヤな人はいないんだから。今回の事件でも、友人が伊藤君の妹をいじめ、父親が注意したところ、翌日から伊藤君がいじめられ始めたという。子供は大人の態度によって1日で感情が変わってしまうといういい例だ。このことに学び、いい方向に子供たちを導いてやらねばならない。

 実は私も小学生の時はいじめられっ子だった。いじめられっ子にいいたいことは「立ち向かえ!」のひと言だ。相手に抵抗することが無理なら、苦しみを他人に訴える方法だってある。私に手紙を書いてくれてもいい。
 死んじゃだめだ。

 

青春の 氷をとかす ほめ上手


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