信念貫く政治家に

私もなりたい


(平成7年11月13日掲載)



 イスラエルのラビン首相が暗殺された。宗教戦争というのは根絶しないということを改めて認識させられる事件だった。

 国葬には70か国、5000人が参列。クリントン米大統領、ブッシュ前米大統領、シラク仏大統領ら各国の最高首脳が顔をそろえた。そんな中、日本の代表は村山首相ではなく河野外相だったため批判の声が上がった。

 一国の首相が宗教的なテロで暗殺されたんですよ。村山さんだってオウム真理教のテロで暗殺される可能性があったわけだ。実際、3月には霞が関が狙われたんだから。そういうことを考えれば他人ごとではないはずなのに。国会があるために断念せざるを得なかったというのは残念だ。

 しかも「(ラビン首相とは)この前、会ったばかりだから」といったそうじゃないか。生きている時に会ったから、死んだ時に葬式に行かないでいいという論法は成り立たない。批判が出るのは当然だろう。

 河野外相も行ったはいいが、世界の首脳の中であまり目立たなかったね。どうも日本の外交は「カオ」がない。外務省主導だからだろうか。もっと鮮明に自国の主張をすべきなのに、サミットやAPECでは「日米安保の傘の下にいる日本」の立場が第一になる。米国に遠慮しすぎ。相手の言いなりにならず、お互いの主張をぶつけ合うのが外交だと思う。村山首相が日本の「カオ」としての存在感を示すためにも国葬には出てほしかった。

 

 常に暗殺の危機を感じながら信念の政治をしてきたラビン首相。官僚主導のぬるま湯につかっている日本では、その偉大さを理解することは難しいのかな。

 それでも、自分が暗殺されることについては、政治家になった瞬間に考えた。私の発言ひとつとっても、その方向性の逆の意見の人もいる。また、そういう人がいてもいい社会だ、意見を異にする人間が感情的に爆発し、私を暗殺するかもしれない。そういう危機感は常にある。いくら腕立て伏せ、腹筋1000回ぐらいは朝飯前の自分でも、銃弾には勝てない。が、銃で狙われていると分かっていても、国民の利益のため信念を貫いたラビン首相のような政治家になりたい。

北風を 真心で包む ラビン首相

 童話「北風と太陽」のように、人の心を開かせるのは北風ではなく、太陽のように暖かい真心だ。そういう生き方をしてノーベル平和賞をもらったラビン首相の死で、外交というものを考えるきっかけを与えられた。

 信念のある先輩政治家に合掌−。


 

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